外伝 その1
そのころのペンペン
彼が自分の自我と言うものを確立した時には、すでに彼はある女に飼われていた。
まぁ、最初のうちは良い飼い主だったと彼は思っている。
よく世話を焼いてくれたし、餌も用意してくれた。涼しい寝床と、彼の大好きな風呂の準備もしてくれた。
だが、時が経つにつれてその認識は崩れていく。徐々に彼女は世話をしてくれなくなった。忙しいのだろうか、と彼は思っていたのだが、単に飽きてきただけだった事には気付かなかった。
そしてそんな生活が完全に崩壊したのは彼と彼の主人が引っ越してからだ。
主人は彼の世話だけでなく、自分の世話すらあまりしなくなっていった。
部屋にはゴミがあふれ、食事もせずにアルコールを摂取する。
終に完全に彼の主人は彼の世話をしなくなった。まるでその存在を忘れたかのように。
幸い、彼は彼の同種の者たちよりも頭が良かったし、手先(手羽先?)が器用だったので、自分のことは自分で世話することができた。
しかし、とうとうそれも限界に達する。
彼の寝床とよく似た、食料が入っている箱に食料がなくなってしまったのだ。
いくら手先が器用な彼でも、この部屋の中で自給自足をするのは無理がある。
三日ほど彼は待ったが、結局彼の主人は何もしてくれなかった。
そして、彼は脱走を決意した。
俺の名前は白石アキラ。年は28歳。職業は碇財閥のシークレットサービス。まぁ早い話が金持ちの私兵だ。
私兵と言っても悪事に加担しているわけじゃない。法に触れる仕事が無いとは言わないが、その全ては大局的に世のため人のためになる仕事だ。
もちろんそれは俺や碇財閥から見たモノの見かたで、全てでないことは分かっているが、少なくとも俺は、俺の雇い主は最大多数の人々の幸せを考えていると確信している。そう思わせてくれるだけの器を持った人物なのだ。
さて、俺の現在の任務について話をしよう。
俺が今常駐しているのは、第三新東京市にあるセイフハウスだ。
ここでの俺の仕事は、雇い主・碇財閥総帥碇ゲンイチロウ翁の孫・碇シンジ様の手伝いだ。
それはつまり、世界を護る手伝いと言うことになる。
……こらそこ、笑うんじゃない。俺はいたって真面目だ。
今この街には使徒と呼ばれる謎の化け物が攻めてきている。シンジ様はそれと戦うロボットのパイロットな訳だ。
ところが、このロボット(正確には人造人間らしいが)を所有するNERVとか言う組織がいまいち信用ならない。
そこでシンジ様は独自に動かれており、その手助けが俺の仕事と言うわけだ。
シンジ様や高嶺の皆様からいつも命令があるわけではないが、指示があるときはいつも的確だ。まるで未来を知っているように。
四年間に突然総帥を訪ねてこられたシンジ様と、シンジ様と共にあらわれ、いつの間にか碇の分家と言うことになった高嶺の一家。
俺は詳しいことは知らないが、高嶺の家にメイドとして仕えている妹のカオリは何か知っているようなのだが、シンジ様や高嶺の家の方々には秘密があるらしい。
怪しいことは怪しいのだが、俺はあまり気にしていない。
一つだけ言っておくことがあるとすれば、シンジ様も高嶺の方々も、仕えるに足る主だ、ということだろう。
さて、俺がこの街で任務に当たるようになってからしばらくして、ある出会いがあった。
今日はその出会いについて話そうと思う。
それは、第四使徒――イカだかゴキブリだか良くわからん形の奴だった――との戦いの後だった。
馬鹿やった餓鬼をNERVに届けてユーフォリア様を高嶺邸に送り届けたあと、セイフハウスに戻る途中にそいつはいた。
体全体を覆う黒い羽。腹の部分は白く、コントラストが眩しい。頭には王冠のような飾り羽が生えており、首元には金属製の首輪のようなものをつけている。
鳥だ。鳥は鳥なんだが……そいつは、どう見てもペンギンだった。
俺とそいつは道の真ん中で向かい合った。
さすがの俺も少々混乱している。
何故こんなところにペンギンが?
というか、ペンギンはセカンドインパクトで絶滅してなかったか?
様々な疑問が頭をよぎり、
「あ」
そうこうしているうちに、そいつはパタリと倒れてしまった。
「お、おい! 大丈夫か?」
あわてて抱き起こしてやる。
すると気付いたんだが、毛並み(羽並み、だろうか?)の色が悪い。どうやらかなり衰弱している様子だ。
「仕方ない、つれて帰るか」
小さいころはカオリと二人で捨て犬やら捨て猫やら拾って帰っては父さんを困らせたもんだが、この年になってまで、しかもペンギンを拾うことになろうとは想像もしていなかった。
少し苦笑しつつ、俺はそいつを抱え上げた。
「……クア?」
「お? 起きたか?」
彼が目を覚ました時、最初に目に入ったのは一人の人間だった。
どうやらオスらしいその人間は上から彼を覗き込むと微笑んだ。
「メシ、用意したけど、食うか?」
と言って見せるのは秋刀魚が二尾。
「クアクア!!」
彼は夢中で頷き、わずか数分でぺろりと平らげた。
「さて、次は洗ってやらんといかんな」
とそんなことを言う人間を、クア? と彼は見上げる。
「えーと、風呂場か?」
「クアクア!」
大きく頷く。どうやら風呂に入れてくれるらしい。
「そうか。嬉しいか」
何気に普通に意思疎通している一人と一羽。
「でも、ペンギンだし冷たいほうがいいのか……?」
「クアクア!?」
この言葉には慌てて首を振る。
外見上誤解されやすいが、彼はペンギンはペンギンでも温泉ペンギンである。
冷たい水よりも熱い風呂のほうが大好きなのであった。
「ん? 風呂は嫌なのか?」
「クア!」
首を振る。
「違う? じゃあ……冷たいのが嫌なのか?」
「クア!」
頷く。
「ふむ。熱い風呂がいいのか?」
「クアクア!」
大きく頷く。
「変わったペンギンだな……」
人間は苦笑しながら、待ってろ、今準備する、と言って出て行った。
「クア……」
彼の心に感謝が満ちる。
人の情けが目に沁みるのであった。
「クアア!!」
風呂に入ってさっぱりとしたそいつは、ずいぶん見栄えが良くなった。
そして俺に頭を下げる。どうやら礼をしているらしい。
「そうか、気持よかったか」
気付いたんだが、このペンギンやたらと頭がいい。
明らかにこちらの言ってることを理解しているし、ボディランゲージによる意思疎通も可能だ。
そして、首元にはまっている金属製のパーツ。見たところ継ぎ目も無く、首輪なんかの類ではない。
どうも、何かの観測機器ではないかと思う。
恐らくはどっかの実験動物か何かが逃げ出してきたのだろう。
あるいは、廃棄が決まって捨てられたか。
まあ、実験動物だとして、いくら頭が良くても一人で逃げ出すことができるわけもなかろうし、恐らくは後者だろうと俺は結論づけた。
となると、問題はだ。
「お前、行くトコあるのか?」
「クア……」
途端にうなだれるペンギン。
「そうか」
まぁ、そうだろうな。
「どうするかな……」
などと口にすれば、すがるような目で見つめてくる。
それに苦笑して、俺はとっくにどうするつもりか決めていることに気がついた。
「なら、ここにいるか?」
「クア? ……クア! クアクア!!」
一瞬だけきょとんとした様子を見せて、そいつは大きく頷いた。
「そうか」
と笑って見せると、
「クアア!」
ペンギンは正座して手(羽?)をついて深々とお辞儀をする。
ますますもって「頭のいい奴だ」と俺は感心する。それに礼儀正しいのは人でも鳥でもいいことだ。
「ん?」
と、頭を下げたそいつの首輪に文字が刻んであるのが見えた。
細かい部分は磨り減ってよく見えないのだが、大きく刻んであるのは“PEN2”
「ぺんに? ぺんつー、か? いや、ペンペンか。お前の名前か?」
少しだけ首をかしげて、そいつはクア、と頷いた。
「安直な……」
犬にポチとかつけるほうがまだひねっている。
ペンギンだから「ペンペン」なんて、猫に「ねこねこ」とか犬に「いぬいぬ」とか名前付けるのと同じではなかろうか?
「むぅ……お前、名前変える気あるか?」
「クア?」
ペンペン(仮称)は首をかしげる。
「お前もそんな安直な名前は嫌だろう?」
そして、ペンペン(仮称)は少しだけ考えて、
「クア」
首を振った。
「なんだ“ペンペン”でいいのか?」
「クア」
今度はしっかりと頷く。
「そうか、変わった奴だな」
まぁ、こいつなりに愛着のある名前なんだろう。
「じゃあ、よろしくな」
苦笑しつつ俺はそいつ――ペンペンに手を伸ばす。
少しの間首をかしげた後、俺の意図に気付いたペンペンも俺の手に羽を伸ばし、俺たちは握手を交わした。
ホントに頭いいなこいつ。
こうして、俺とペンペンの生活が始まった。
俺のほうはシンジ様の関係でいろんなことがあったのだが、こいつとの生活では特に大きな波乱はなかった。
いろんな事情でストレスのたまるシークレットサービスの連中にとってペンペンとの関わりはいわゆる“癒し”になったらしく、こいつは碇黒服隊のマスコットのような存在になり、ペンギンを意匠した隊章までできてしまうことになるのだが、それはもう少し後の話である。