再会――太陽の微笑み

エヴァンゲリオン afterEOE LAS短編




「おす、碇」

「はよっす!」

「うん、おはよう」

 クラスメートに返事をしながら僕は自分の席へとついた。

 窓の外を見れば、校庭の脇に花が散り緑が目立つようになった桜の並木が並んでいる。もう少しすれば、梅雨に入り、雨や湿気に悩まされることになるのだろうが、今はまださわやかな風が流れている。

 日本に四季が戻ってきてから三年。

 つまり、僕がこの街に来てから二年ということになる。

 あの地獄のような戦いの日々を経て、サードインパクトは起こった。

 一度は全ての命がLCLに溶けてしまったけれど、世界はその形を取り戻した。

 もちろん、と言って良いのかはわからないけど、帰ってこなかった人もいる。

 サードインパクトの時にすでに死んでしまっていた人は戻ってこれなかったらしい。

 結局、時を遡って命をどうこうする、なんてことは神様にだってできはしないのだろう。

 NERV上層部でただ一人帰って来た冬月さんは、すぐに行動を起こした。

 使徒戦役からサードインパクトにかけての情報を世界に公表したんだ。

 それはNERVに都合のいいようにある程度操作されていたけれど、ほとんど真実で。

 世界の大勢は「サードインパクトをたくらんだ悪者のSEELEとそのたくらみを防いだ正義の味方NERV」という認識に落ち着いた。

 そして、サードインパクトがおきてから一年後、僕はここ、第二新東京市に移り住むこととなった。

 現在、NERVはエヴァを初めとしたオーバーテクノロジーの研究機関として存続しているけれど、その保有する戦力は世界の覇権を握ることができるほどのものだ。

 そして、エヴァを操れるチルドレンをNERV本部に置いておく事は危険と判断されたそうだ。

 綾波は帰って来なかったし、アスカは……戦力にはならないと判断されたようだった。


 日常生活に支障は出なかったものの、右手には一生消えない傷が残った。左目の視力もほとんど失ってしまっていた。


 僕がこっちに来る時に唯一心残りだったのはアスカのことだった。

 ミサトさんも父さんも、母さんも失ってしまった僕に残った、最後の家族。

 あの戦いからずっと一緒にいた少女。

 離れてしまってやっとわかったけれど、たぶん僕はアスカが好きだったんだ。

 また、会うことができるだろうか? 会ってこの気持を伝えることができるんだろうか?

 今の僕は勝手にこの街を出ることも許されない。

 そして何よりも。

 この街の穏やかな生活は、あの激動の一年を、その後のアスカと過ごした一年を、ゆっくりと過去のものへと変えようとしていた。

 それが悪いことだとは思わないけれど、ただ、少しだけ胸が痛んだ。








「D組に美人の転校生が来たんだってよ!」

 友達からそんな噂を聞いたのは、6月も半ばを過ぎたころだった。

 僕は誕生日を過ぎて17歳になっていた。

 季節はすっかり梅雨に入り、じめじめと雨が降り続いていた。

「転校生?」

「おう! 何でもハーフだかクオーターだかで、金髪って話だぜ〜」

「ふうん」

「なんだよ、碇。ノリ悪いな〜」

 大騒ぎするクラスメートたちを他所に、一人冷めた反応をする僕はどうやら浮いてしまったらしい。

 自分のクラスに来るんならまだしも、僕たちのクラスはA組で、D組とは結構離れている。

 それに、

「金髪の転校生……か」

そんな話を聞いても、思い出すのは彼女のことだけだ。


『あんたがサードチルドレン? 冴えないわねぇ……』

『あんた、もうお払い箱よ』

『あんたバカァ!?』

『私は、エヴァに乗るしかないのよ』

『キスしようとしたくせに〜!』

『バカシンジ!』


 思い出そうと思えば、いくらでもあふれてくる彼女との思い出。

 最近あんまり思い出さなくなったな、なんて考えていた。

 僕には、関係のないことだと思っていた。そのときは、まだ。








 その日は、僕が教室にいたのは偶然だった。

 たまたま久しぶりに弁当を作り、たまたま雨だったから食堂が一杯で教室で食べることになった。

 普段は食堂で食べることが多いし、パンを買って屋上や中庭で食べることも多い。

 たまに弁当を作ったときも、友達と一緒に食堂や屋上で食べることがほとんどだったが、その日は雨で屋上や中庭といった人気スポットが使えなかったため、食堂がごった返すことになった。

 授業の終了が少し遅れたために、僕たちが食堂に来たときには満席の状態だった。

弁当のない友達はパンを買って、皆で教室で食べることになったんだ。

 本当に、偶然が重なっただけだったんだ。


 教室で談笑しながら昼食をとっていると、廊下からざわめきが聞こえた。

 昼休みの学校なんて喧騒に満ちているものだけど、そのざわめきは一際大きく、そしてこちらへと近付いて来ていた。

「なんだろう?」

「何かあったのかな?」

 友人たちも釣られるようにざわめき始め、クラスにいた何人かは確かめようと廊下に出て行ったりしていた。

「あれ?」

「うちの前?」

 そのざわめきは僕らのいる教室の前で止まった。

「なんだ?」

「さぁ?」

「ほら! 例のD組の転校生が来てるんだってよ?」

「誰か知り合いでもいるの?」

 どうやら、美人の転校生さんがここに来ているらしい。

「まぁ、僕らには関係ないでしょ」

「冷めてんね、碇は」

 ため息をつく友人を他所に、僕は一人弁当を食べる。

 一際ざわめきが大きくなると、ガラリ、と音を立てて教室の戸が開く。

 どうやら転校生とやらが入ってきたらしい。

 ふと、そちらを振り返って、僕は、目を疑った。


 少しだけ赤みのかかった金髪は流れるように綺麗で。

 卵形の顔には完璧なパーツが完璧な配置で並んでいる。

 夏服に変わって露出の増えた制服から覗く肌は、一点の曇りもなく白い。

 だが、その右腕は手から肘の上辺りまで何かで引き裂いたような傷跡がある。

 その左目は、かすかにくすんで何も映していないことがわかる。

 しかし、それでもなお、その姿は自信にあふれ、輝いて見える。

 その姿は、まさしく――


 僕は思わず弁当を取り落として立ち上がる。

 大きな音を立てて座っていた椅子が後ろに倒れる。

「碇?」

「おい、どうした?」

 クラスメートの声が聞こえたような気もするが、今は気にしてる場合じゃない。

 睥睨するように教室を見回していた金髪の少女は、その音に気付いてこちらを認めると、つかつかと近付いてきた。

 まるでモーゼが海を割るように、教室内の生徒たちが彼女に道を開ける。

 そして彼女は僕の目の前に来ると、

「ほんっとにアンタはグズね!!」

 そう吐き捨てるように言うと、僕を睨みつける。

「え? あ……えと……」

 とっさに答えることができない僕を、睨みつけたまままくし立てる。

「ったく、いつ気付くかと思って待ってたら、2週間も音沙汰なしなんて!!」

「で、でも……」

「あんたバカァ!? 金髪美少女の転校生って言ったらすぐ私のことを思い出しなさいよ!」

「そ、それは自分で言っちゃだめなんじゃ……」

「うっさい!!」

 そう叫ぶと、彼女――惣流・アスカ・ラングレーは、僕にずいと近付くと、






そのまま僕の胸に顔をうずめた。






 一瞬、呆気に取られて、そこで気付いた。

 胸に顔? 小さい。

 あの街にいたころ、彼女の身長は僕と変わらなかったはずだ。

「アスカ、小さくなったね」

「バカ……アンタがでかくなったのよ」

 呟いた言葉にささやきで返すアスカ。

「そうか……二年、だもんね」

 僕がこの街に来てから。アスカと――離れ離れになってから。

「バカ」

「ごめん」

「バカバカ」

「ごめん」

「バカ、バカバカバカ! バカシンジ!!」

「ごめん」

 ぽつぽつと僕を罵倒する声がだんだん大きくなり、そして僕のシャツが濡れてくるのがわかる。

 ただ謝るだけだった僕は、そっと、小さくなったアスカの体を抱きしめた。

 一瞬体を硬くした彼女は、すぐに力を抜いてくれた。

 そして、おずおずと僕の背中にその手を回す。

「会いたかった、アスカ」

「っ! バカ……私だって……会いたかったわよ……」

「うん」

「寂しかったんだから、あの家に一人で……」

「うん」

 ゆっくりと抱きしめる腕に力をこめていく。

「やっと会えた……やっと会えたよぅ……シンジィ……」

 だんだんアスカの声が鼻にかかったものになっていく。

 何だか、それに僕もつられたのか感極まってしまって、

「アスカ……!!」

 強く強く、彼女の細い体を抱きしめた。








 どのくらいそうしていただろう。

 ゆっくり体を離したところで、唐突にここがどこなのか思い出した。

「あ」

「なによ……って」

 アスカも気づいたらしい。

 ここは教室。しかも昼休み。

 そんな状況で僕らはラブロマンス映画並みの「感動の再会及び熱い抱擁」を行ってしまったらしい。

 興味津々といった風情のクラスメイトたち。廊下側の窓の向こうにも見物人が鈴なりになっている。

 見せモンじゃないぞ?

 と、チャイムが鳴る。

 どうやら昼休みの半分くらい抱き合っていたらしい。

「シンジ」

「何?」

 僕の手を離さないままアスカが声をかけてくる。

「早退するわよ」

「早退? 何で?」

「あんたバカァ!? こんな状況で授業なんか受けれるわけ無いでしょ!?」

 相変わらず鈍いわねぇ、などと呟くのが聞こえる。

 そんなに鈍いかな? と首をかしげているうちに、僕は腕を引っ張るアスカの手によって教室から連れ出されてしまった。

「あの、アスカ、カバン……」

「あんた、カバンとあたしのどっちが大事なのよ?」

 言いかけた僕を横目で睨む。

 少しだけ苦笑する。

 たとえ二年経ってても、アスカはアスカだな、と思った。

「そうだね」

 答えながら、僕の腕を引っ張るアスカの手をそっと払う。

 一瞬悲しそうな顔をするアスカだが、

「アスカのほうが大事だ」

 そう言って僕のほうから手を握ると、途端に笑顔になる。

「ふふん! あったりまえじゃない!」

 そんなアスカと手をつないだまま、僕は学校を後にした。

 学校から出たところで、僕はアスカに話しかけた。

「そういえば、アスカどこに住んでるの?」

「ホテルよ。誰かさんが気付かないもんだから、新居には入れなくてね」

 そう言ってまた睨んでくる。さっきまで笑顔だったのに……

「それはごめんって」

 と苦笑いで謝ってから気付く。僕が気付かないから新しい家に入れないってことは……

「一回ホテルに行って荷物もってあんたの家に行くわよ!」

「それってやっぱり……」

「あんたの家が私の家よ!」

 そうして、二年のブランクを経て、僕らの共同生活三年目が始まる。

 きっといろんなことがあるだろう。

 ケンカもするだろうし、嫌なことだっていっぱいあるだろう。

 でも、きっと。

 彼女の太陽のような微笑は、それ以上の幸せを僕にもたらしてくれる。

 そんな訳も無い確信がこみ上げて。

「アスカ」

「何?」

「大好きだよ」

「……私もよ!!」

 そう宣言する彼女の顔は恥ずかしそうな、でも嬉しそうな笑顔で。

 その顔は本当に可愛くて、綺麗で、太陽のように輝いていた。