街――否、かつて街であった場所。
今やそこに住む人の姿は無く、朽ち果てたビルが立ち並び、上昇した海面の下にその姿を隠している。
その廃墟の海を悠然と泳ぐ一つの影があった。
その姿は胴体と手が二本に足が二本。人型、と言えなくも無い。
しかし頭は無く、本来それがある高さには仮面のようなものがついており、その両側まで肩が張り出している。そしてその下には赤黒い球体があった。
彼――本来『彼ら』に性別は無いが――は自らの本能に従い、自分を生んだであろう存在を目指していた。
彼の心にあるのはただ“還りたい”という想いだけだった。
『本日12時30分、東海地方を中心とした関東中部全域に特別非常事態宣言が発令されました。住民の皆様は速やかに……』
遠くに聞こえるセミの声をBGMに街中のスピーカーからアナウンスが流れる。
それを聞くとは無しにに聞きながら、少年は耳元に当てた受話器から聞こえてくる声にため息をつく。
『特別非常事態宣言発令のため、現在すべての通常回線は不通となっております。速やかに……』
「はぁ、やっぱりつながらないか」
そう言って黒いズボンに半そでの開襟シャツ、という学生姿の少年――碇シンジは受話器を置く。
地面に置いていた荷物を取り上げながら、ふと横を眺める。
道路の先に白くかすんだ少女の姿が見えた。
(綾波……今度は助けてみせる……!)
一瞬の後には消えてしまった幻を思いながら、シンジは決意を新たにする。
「どうだシンジ。やっぱりダメか?」
「ああ、ユウトさん。ええダメですね」
とシンジに声をかけたのは学生服姿に風変わりな羽織を羽織った、シンジよりも5歳ほど年上に見える少年――ユウトである。
「しかし、迎えに来るって言っといて、2時間の遅刻か……つくづくダメな奴だな葛城ってのは」
ため息をつきながら言う。呆れてものが言えない、と言った風情だ。
「確かに」
シンジも、手に持った写真を眺めながら頷く。
そこには屈み込んで胸を腕で挟み込み、その谷間を強調するポーズで写った女性と「シンジ君、私が行くから待っててね♪」の文字と、その強調された胸に矢印を引き「ここにチューモク!」の文字とキスマーク。
あったことも無い中学生に送る写真ではない。
それを覗き込んだユウトは一言。
「ユーフィには見せられんな……」
シンジは無言で同意した。
『前回』は一時は姉とも家族とも慕った女性だったが、LCLの中で見た彼女の本当の心と、ここ四年間のユウトたちとまともな生活を送ったことにより、我侭かつ非常識で自分勝手、自分の非を認めず得意技は責任転嫁等など欠点を上げればキリのない某作戦部長に見切りをつけていた。
復讐を忘れられないにしろ、自らを省みることができるようになれば良し、それができないようなら救う価値はない、と判断している。
ちなみに、これは過去に戻った四人の共通認識だったりする。
と、轟音とともに大きく空気が震える。
しかし、それに驚いた様子もなく、二人は空を見上げ、
「ああ、戦闘機が飛んでますね」
「てことはそろそろ来るのか?」
のんびりと会話をしていた。
そんな二人に気づくはずもなく、編隊を組んで飛んでいた戦闘機が一斉にミサイルを発射する。
再びの轟音と暴風。
やはりそれらに動じない二人は、しかし、目つきを真剣にしてミサイルが向かったほうを見る。
山の陰から現れたのは異形の影――「嵐を司る天使」第三使徒サキエルである。
「やっぱり神剣の気配がするな」
かすかだけどな、とユウト。
「そうですね」
うなずくシンジは
「ユウトさんなら生身で倒せるんじゃないんですか?」
と続ける。
「うーん、倒せないこた無いと思うが、疲れそうだしな」
と面倒くさそうに言う。
がシンジにはユウトの本心がわかっていた。
ユウトの力は大きすぎるのである。確かに使徒は倒せるであろうが、不用意に使えば上位神剣の力は世界にどんな影響を与えるかわからない。自分たちが過去に来たことで、何らかのイレギュラーは免れないが、それをより少なくするために、ユウトは自分やアセリアが使徒を倒すべきではないと考えていた。
「まあ、待つのも面倒だしな。行くか」
「はい」
うなずきあうと、二人は走り出した。
一瞬でギアをトップにいれ、その次の瞬間には人間の限界を超えた速度まで加速する。
まさに「飛ぶような」と形容するにふさわしい走りっぷりである。
神剣による身体強化は二人にそれほどの脚力を与えていた。
二人がそこを離れてから数分後、撃墜する飛行機の前にスピンターンしながら車が躍り出る。
運転していた人物はドアを開けると、
「碇シンジ君!? 早く乗って! ……っていない!?」
目の前にあるのはがらんとした駅前の風景だけ。探していた少年の姿は影も形もなかった。
「何でいないのよ!?」
必死で迎えに来たのに、と大声で抗議する。
彼女の名は葛城ミサト。先ほどシンジとユウトの話題に上っていた某作戦部長である。
しかし、この女、二時間も遅刻してきて、本当に待っていると思っていたのだろうか? それもこの非常事態に。
「そりゃ確かに遅れてきたのは悪かったけど……」
とまだグチグチと口の中でわめいていたが、遠巻きに見えるサキエルから戦闘機が遠のいていくのを見て、
「やば……! N2を使うつもりだわ!!」
とあわてて車を本部に向けて発進させた。
しかし、サキエルの向かった方向はNERV本部。そして自分の行き先も同じ。と言うことは自分の行く方向でN2地雷が使われるということなのだが、その辺わかっているのだろうか?○○○
時間を少しさかのぼる。
第三新東京市、ジオフロント内のNERV本部。その第一発令所。
その薄暗い場所は喧騒で満ち溢れていた。
職員たちは忙しく走り回り、報告と指示の通信が乱れ飛んでいた。
『正体不明の移動物体は、依然本所に対し進攻中』
『目標を光学で確認。主モニターに回します』
その声と同時に、正面のスクリーンに異形の影が映し出される。
「十五年ぶりだな」
「ああ、間違いない。使徒だ」
それを見たサングラスに髭面の男と白髪の老人はのんびりとも思える口調でそうささやいた。
スクリーンの中ではサキエルの周りを飛び交う戦闘機がバルカンやミサイルで攻撃を加えていくが、当のサキエルはまったく気にした様子もない。
自分の周りを飛ぶハエがうっとおしい、という様子で腕を振る。それだけで戦闘機が撃墜されていく。
多少大型の戦闘機に対しても、その腕に備えた光のパイルを使ってあっさりと撃墜していく。
『目標は依然健在。現在も第三新東京市に向かい進攻中!』
『航空隊の戦力では足止めできません!』
攻撃をものともしない敵の様子に、報告にも緊迫感が混じる。
「総力戦だ! 厚木と入間も全部上げろ!」
「出し惜しみは無しだ! なんとしても目標をつぶせ!」
サングラスの男と老人の席の近く、発令所最上段の司令席で軍服をまとった三人の初老の男たちが大きな声でがなり散らす。
その言葉に答えるように、スクリーンの中ではさらに激しい攻撃が加えられていく。
一際大きなミサイルが直撃するがダメージは見受けられない。
「なぜだ!? 直撃のはずだぞ!」
「ミサイルもまるで効果無しか」
「ダメだ! この程度の火力では埒が明かん!!」
叫ぶ指揮官たちを眺めながら、やはり男と老人はのんびりとすら見える様子で会話する。
「やはりA.T.フィールドか?」
「ああ、通常兵器では使徒は倒せんよ」
「……わかりました、予定通り発動いたします」
受話器に向けて話をしていた軍人がそう言って受話器を置く。
スクリーンの脇にカウントダウンの数字が表示される。
それが0に近づくにつれ戦闘機がサキエルから離れていく。
そして、カウントが0になった。
何も起こらない。
「何故だ!? 何故爆発せん!」
「あれは我々の切り札だぞ!?」
わめき散らす軍人たち。
そこに報告が入る。
『無線・有線あわせたすべての起爆装置が物理的に破壊されています!』
「馬鹿な……」
「妨害工作か? しかし……」
呆然とする指揮官たち。そこに再び通信機が音を立てる。
軍人の一人がそれを取り、
「……は、いや、しかし……解りました……」
しばらくの押し問答の末、通信を切る。
そして、いまいましそうにサングラスの男を見ると、
「現時点を持って本作戦の指揮権は我々からNERVに移った」
それを聞くと、サングラスの男はニヤリと笑う。
「我々の所有する兵器では、目標に対し有効な損害を与えられなかった事は認めよう」
「だが、君たちなら勝てるのかね、碇君?」
嫌みったらしく続けるが、碇、と呼ばれた男は
「ご心配なく。そのためのNERVです」
と軍人たちに負けず劣らず嫌みったらしく答えた。
苦虫を噛み潰したような顔で退室していく軍人たち。
サングラスの男――NERV司令碇ゲンドウは司令席につくと、顔の前で手を組むお得意のポーズをとった。
その後ろに電柱のように立つ白髪の老人――NERV副司令冬月コウゾウである。
「碇、どうするんだ?」
「……初号機を使う」
「レイはまだ動けんぞ」
「問題ない。まもなく予備が届く」
(息子を予備扱い……か。ユイ君が聞いたらどう思うか)
と、自分のことは棚に上げている偽善者老人であった。○○○
一方、NERV本部直上第三ゲート前。
一陣の風とともに現れた二人の少年の姿があった。
「ここからジオフロントに入れるはずです」
「そっか」
傍から見ていれば、瞬間移動でもしてきたのか、と錯覚するくらいのスピードである。
しかし、二人は息切れを起こす様子すらない。
「守衛さんがいると思うので、取り次いでもらいましょう」
どこまでも呑気な二人だったとか。○○○
「あれ?」
と、発令所のメインオペレーターの一人青葉シゲルがいぶかしげな声を上げた。
「どうしたのかね?」
彼の直属の上司である冬月が尋ねると、
「は、はい。本部直上の第三ゲートに碇シンジを名乗る少年が来ているとのことです」
「サードチルドレンか? 葛城君が迎えに行ったのではなかったのかね?」
「なんでも、待ち合わせの場所で2時間以上待っても迎えが来なかったので、走ってきたそうです」
「な……彼女はいったい何をやっているのだ!」
憤慨する冬月。
「……伊吹二尉、赤木博士を迎えにやってくれ」
「はい」
答えるのは技術部所属のオペレーター伊吹マヤである。
「……葛城一尉は三ヶ月の間10%の減俸だ」
ちなみに、今月のミサトの給料が5割を切ることが確定した瞬間であった。
「ケイジへ行く。冬月先生、後は頼みます」
ボソリとつぶやいて立ち上がり、エレベーターへと向かう髭サングラス。
「ああ」
冬月は答えながら、四年ぶりの再会か、と口の中でだけでつぶやいた。○○○
本部へ向かうエレベーターの中では、白衣に金髪、黒眉毛というなかなかに奇抜な格好をした妙齢の美女が、二人の少年を相手に自己紹介をしていた。
「私は赤木リツコ。NERVの技術部長をしているの。リツコでいいわ」
「はじめまして赤木さん。碇シンジです」
にこやかに挨拶をするシンジだが、名前では呼ばない。
それに一瞬顔を引きつらせながらも、何とか笑顔で答えながら、リツコはもう一人の少年のほうへと顔を向け、
「時間がなかったから通してしまったけど、そっちの子は……?」
「ああ、彼は……」
「俺は高嶺ユウトです。よろしく、赤木さん」
と右手を差し出すユウト。
その手を握り返しながら、リツコはたずねる。
「それで、ユウト君はシンジ君とどんな関係なのかしら?」
「まあ、兄貴代わりの保護者代理ってとこです」
そう、とうなずくが、納得はしていないリツコ。
何しろ、リツコと司令と副司令の他は実行していた諜報部のメンバーしか知らないことだが、この十年間サードチルドレンは監視されていたのだ。このような少年は報告にはあがっていなかった。
(スパイ? でもどこでサードと接触したのかしら……)
内心で警戒しながらもシンジに話しかける。
「所でシンジ君、IDは持っているかしら。本部に入るには必要なのだけど」
「ID?」
「ええ、お父様からの手紙に入っていたでしょう?」
「ああ、捨てました」
「そう、捨てたの……って捨てた!?」
あっさりと言うシンジに一瞬納得しかけるが、大声を出して反応する。
「ええ、それが何か?」
「何かって……」
「赤木さん、何か勘違いされてるようだから言っておきますけど、僕らはアレに呼ばれたから来たわけではありません。僕らなりの用があるからわざわざ来たんです。それと、手紙は読んですぐに捨てました」
アレから切符一枚であっても恵んでもらう気はありません、と強い口調で告げる。
ゲンドウ、アレ呼ばわりである。
「ど、どういうこと? それにシンジくん仮にもお父様をアレだなんて……」
「ま、そのうち出てくるんでしょう? そのときにでも説明しますよ」
と答えたのはユウトだった。
「悪いんだけど貴方は部外者だから……」
「あと、部外者は入れない、とか言ってユウトさんを締め出そうとするのも無しです。ユウトさんが来ないんなら僕も行きませんし、部外者というなら僕も部外者です」
ID、捨てちゃいましたからね、とシンジ。
「……解ったわ」
ここでごねても言葉通りこの兄代わりを名乗る少年を連れて行かなければシンジは来ないだろう。
そう判断したリツコはしぶしぶながらもうなずいた。
「で、いつになったらシンジの父とやらは出てくるんです? 呼びつけといて迎えは遅刻、本人は出てこず、説明も無し……失礼な奴ですね?」
「……お父様に会う前に見せたいものがあるの、ついて来て」
リツコはユウトの言葉には答えず、強引に自分たちのシナリオを実行することにした。○○○
しばらくの後、IDが無いせいで本部ゲートでひと悶着あったものの、やたらと長いエレベーターに乗ったり、赤い色の水をたたえたプールでボートに乗ったりしながらなんとか三人は目的地であるケージに到着した。
ボートから降り立ったそこは照明が落とされており、隣の人の顔も見えないほどに暗かった。
だが、身体能力の強化されたシンジとユウトにはいつもどおりとまではいかないものの、はっきりと装甲に覆われた巨大な顔が見えていた。
(これが……)
(エヴァンゲリオン初号機……この時代の『福音』です)
リツコに聞こえないように二人は会話をする。
と、照明がつく。
黙ったままの二人を見て驚いていると判断したのか、リツコは
「人類の造り出した究極の汎用人型決戦兵器……人造人間エヴァンゲリオン。これはその初号機よ」
と、得意げに二人に説明する。
「……やっすい演出……」
ボソリとつぶやくユウト。
ピクリと反応するリツコの眉毛。
「驚いてほしかったんですか?」
呆れた様子で問いかけるユウトにリツコは答えることができない。
「で、これがちちのしごとですかー?」
シンジが間延びした声で馬鹿にするように言う。
『そうだ!』
それに反応してスピーカーから増幅された男の声が響いた。
「……どこ?」
「あそこです」
場所がわからないユウトに目線でエヴァの顔の上のほうを指すシンジ。
そこにはガラスで覆われた部屋からこちらを見下ろすサングラスに髭面で凶悪な顔つきの男がいた。
「シンジ……」
「はい?」
「……母親似でよかったな」
「……はい」
同情を浮かべたユウトの目線。シンジはそれにため息で答えた。
(さてと)
(ふざけるのはここまでか)
二人は心を切り替えると、厳しい目つきでゲンドウを見上げた。
『ひさ……』
「久しいな、碇……いや、六分儀ゲンドウ!」
言葉をかけようとしていたゲンドウをさえぎって、シンジが大きな声を上げた。
『……なに?』
それに、いぶかしげな様子を見せながらも、自らの駒と思っていた少年から旧姓で呼び捨てにされるという事態に不快感をあらわにする。
「挨拶を返すこともできないのか? やっぱり失礼な奴だ……」
ボソリと、しかしゲンドウに聞こえる程度の声で言うユウト。
それに眉をしかめながらも無視することに決めたのか、シンジに対し再び声をかけようとする。
『シン……』
「今日は貴方に用があって来た、六分儀ゲンドウ」
『貴様……親に向かって……』
「おいおい、話は最後まで聞けって。そんな常識も知らないのか、六分儀ゲンドウ?」
シンジに怒鳴ろうとしたゲンドウの言葉を遮るようにユウトが言葉を発する。
ここまでゲンドウ、まともに口に出せているのは『そうだ!』と『……なに?』だけである。
『……私は碇ゲンドウだ』
怒気をはらんだ低い声でそう口にする。
普通ならその形相ともあいまって威圧感を感じるところなのだろうが、シンジとユウトには通用しない。
「そのことも含めていろいろあるのさ」
ユウトは軽い調子でそう言うと、シンジに目配せをする。
それにうなずくと、シンジは再び大きな声で堂々と言葉を発する。
「僕は碇家当主、碇ゲンイチロウの名代でここへ来た」
『何!?』
その言葉を聴き、驚愕に顔をゆがめるゲンドウ。
しかし、シンジはそれを意に介した様子も無く続ける。
「碇家は貴方から碇の姓を剥奪、碇家からの追放を決定した。そして、この四年間に貴方が手をつけた碇家の財産すべての返却を命令する」
『ば、馬鹿な!?』
動揺するゲンドウ。
「そもそも、貴方は四年も前に僕の親権を失っている」
『な……私は聞いていないぞ!?』
「裁判所からの召喚状や書類は届いていたはずだ。大方見もせずに捨てたんだろう」
『ぐ……』
「これは決定事項だ。今後公式、非公式を問わず碇の姓を名乗ることを禁止する」
『き、貴様、親に向かって……』
「だから、貴方は僕の親ではないと言っている。僕の親権者は碇ゲンイチロウだ」
『…………』
もはや、言葉も無くシンジをにらみつけるゲンドウ。
「反論は認めない。速やかに財産の返却を。期限は一ヵ月後だ。ああ、免許証やらパスポートやらの名前の変更はこっちでやっておいた。今貴方が持っているものは使えないからそのつもりで」
早く、役所に新しいものをもらいに行くといい、とシンジは締めくくった。
「さて、こちらの用件はこれで終わりだ。本来ならここで帰ってもいいんだが、まあいい、そちらの用件を聞こうか?」
口の端だけをあげた馬鹿にしたような笑みでシンジは父親――いや、『元』父親に告げた。○○○
『く……出撃!』
今までのことで散々ペースを狂わされたゲンドウだったが、ここで機を逃してはならないとばかりにシナリオを進めようとする。
「何言ってんだあいつ?」
「単語でしかしゃべれないんでしょ、きっと」
しかし、その言葉は意味不明であり(シンジとユウトはその意図を知っているのだが)、馬鹿にした様子で眺める。
と、そこにこの事態をさらに混乱させるメンバーが登場した。
「待ってください!!」
われらが作戦部長葛城ミサトである。
パイロットがいないわよ、今届いたわ、まさか、シンジ君貴方が乗るのよ、レイでも7ヶ月かかったのに、座っているだけでいいわそれ以上は望みません、しかし、今は使徒撃退が最優先、そうねシンジ君乗りなさい、どうしたシンジ乗るのなら早くしろでなければ帰れ……
これまでの事態を忘れたかのようにゲンドウ、リツコ、ミサトの三人はシナリオどおりの茶番を開始するのをユウトは呆れた様子で眺めていた。
一方のシンジと言うと、彼は全くこれらを聞いていなかった。
外界の雑音をシャットアウトし、自らのパートナーたる神剣に意識を集中する。
(『福音』 できそう?)
(はい、ちょっと待ってください……大丈夫です。掌握……というよりも同化しました。これでエヴァ初号機は私の体です。自由に動かせます)
(よし、それじゃあしばらく待機だね。出たらよろしく)
(ええ、再びこの体で貴方とともに戦えることをうれしく思いますよ)
(うん、そうだね)
反応しないシンジの様子に、所詮子供、威圧されていると思い込んだのか、ゲンドウはシナリオを第二段階に進める。
「冬月、レイを起こせ」
『レイをか? 使えるのかね?』
「死んでいるわけではない」
そう言ってゲンドウが受話器を置くと同時、空圧式のドアの空気の抜ける作動音とともにストレッチャーに乗せられた一人の少女が運ばれてくる。袖の無い体の線の出るぴったりとしたスーツと体のあちこちに包帯を巻いている。
(シンジ……彼女が)
(ええ、エヴァ零号機専属パイロット、ファーストチルドレン、綾波レイです)
『レイ、予備が使えなくなった、もう一度だ』
「……はい」
ゲンドウの言葉に立ち上がろうとするが怪我のせいかうまく立ち上がれない。痛みもあるのだろう、息がだんだんと荒くなっている。
シンジはそれを辛そうに見ながら周りを見回す。
だが、誰一人として彼女に手を貸そうとするものはおろか、心配そうな目で見るものすらいない。
(これまでか……)
シンジは、現時点でここにいるNERV職員全員に見切りをつける。
今後改善がなされなければ見捨てる、ということである。
シンジはユウトとうなずきあい、彼女の元に駆け寄ると、やさしくストレッチャーの上に寝かしつける。
「無理しないで」
やさしく微笑みながら声をかけるシンジ。
レイは無表情にシンジを見ながら、
「貴方、誰?」
と小さな声でつぶやく。
「僕は碇シンジ。さあ、今はお休み……」
「碇……?」
つぶやきながらも、頭をなでられて気持ちよさそうに目を閉じるレイ。
『貴様、レイに何をしている!』
そんなことを言うくらいならはじめから連れてくるなと思うシンジとユウトは無視。
「シンジ君、貴方が乗らないとその子がこれに乗ることになるのよ? あなた女の子に無理させて自分は逃げるなんて、恥ずかしくないの?」
その様子を見ていたミサトが自分勝手な理論でシンジたちに語りかける。
この吐き気がするような偽善にキレたのはユウトだった。
「…………」
言葉も無く怒気が膨らんでいく。
それに気づいたのか、リツコは微妙に顔を引きつらせて一歩後ずさる。
しかしミサトはそれに気づかない。自分の演説に酔っているのだろう。
「貴方は何のためにここに来たの?」
「……黙れ」
「だめよ逃げてちゃ。お父さんから、何よりも自分から!」
「黙れと言っている」
「これに乗らなければ、貴方はここでは用の無い人間なのよ?」
「黙れ!!!」
「ひうっ!? な、何よ!」
ユウトの怒声に震えながらもミサトが反論する。
「さっきから黙って聞いてれば好き勝手なことほざきやがって……お前ら全員恥ずかしくねぇのか!」
「あに言ってんのよ! 非常時なのよ!?」
反省する様子も無いミサトに鋭い視線を向けるユウト。
ひるむミサト。
「頭ごなしにシンジに命令する奴はいても誰一人として頼む奴はいない」
「だから、非常時なのよ! そんなまどろっこしいこと……」
「だったら何故、こんなときになって急に呼び寄せた!? シンジにしか動かせないとか言うなら早くから呼んで訓練なりなんなりさせるのが筋だろうが!」
「そ、それは……シンジ君が適格者だとわかったのは最近で……」
「だとしても、いや、それならなおさらきちんと説明し、納得させなきゃならんだろうが! それを中学生相手に大の大人が取り巻いて恫喝まがいの命令で無理やり乗せようとする! あげく、それで乗らないなら大怪我の女の子を引っ張り出して、お前が乗らなきゃこの子が乗るぞ恥ずかしくないのか、だと!?」
「そ、そうよシンジ君、貴方恥ずかしく……」
「馬鹿野郎!!!!」
なおも言い募ろうとするミサトにユウトのもはや物理的な圧力さえ伴う怒声が飛ぶ。
「ひっ!」
それにミサトはすくみあがった。
「この子を乗せようとしてるのはお前らで、俺たちじゃない、こっちから聞いてやるぞ『恥ずかしくないのか!?』 しかも、こんなところに連れてきて立ち上がるのに手を貸す奴もいない……乗せるつもりなんか端から無い、シンジに対するあてつけだろうが!! もう一度聞くぞ、お前ら、恥ずかしくないのか!?」
ユウトの怒声が響き渡ると、そこには気まずげな沈黙だけが残った。
遠巻きに眺めていた整備員たちも所在無さげに目線を交し合う。
と、その時だった。
ズゥウウウウウン!!!
重い轟音とともに施設が揺れる。
尻餅をつくミサトとリツコだが、ユウトは腰を落として耐えている。シンジはいつの間にかストレッチャーから落ちそうになったレイを抱きかかえていた。
衝撃で大きく揺れていた照明が、自らの揺れに耐え切れず落下する。
その真下にいたのはシンジと彼に抱きかかえられたレイ、そしてユウトの三人である。
「く……!」
(福音!)
(はい!)
シンジは誰よりも早く反応した。
レイを守ろうとするシンジの意思に反応し、周囲のマナが彼の手の中に収束し、美しい紫の直刀へと変化する。すばやく意識をあわせると、初号機を動かした。
バキッという何かが壊れる音がして、シンジたちの頭上を黒い影が覆う。
エヴァ初号機の腕である。
照明がエヴァの腕に当たり、甲高い音を立てながらLCLのプールへと沈んでいく。
ユウトもいつの間にか構えていた『聖賢』をおろし、ほっとした表情を見せる。
『エヴァが動いた!?』
『どういうことだ!?』
『右腕の拘束具を引きちぎっています!』
慌しい報告がスピーカーから聞こえる。
「そんな、ありえないわ!」
大きな声でリツコが言う。
「エントリープラグも挿入してないのよ! 動くはずが無いわ!」
「インターフェイスもなしに反応している? と言うよりも、守ったの? 彼を?」
ミサトは自問自答する。
「いける!」
それぞれ勝手なことを言うが、誰もシンジがすでに初号機を掌握していることは知らなかった。
「まあいい。乗りましょう」
エヴァ初号機を見上げながらシンジが言う。
「いいのか?」
不満そうにたずねるユウト。
「……最初からそのつもりでしょう?」
ユウトにだけ聞こえるように言うシンジ。
(シンジ君とユウト君が持っているのは剣? でもいつの間に……)
二人の神剣に気づいたリツコは疑問を顔に浮かべるが、今は説明が優先、と頭を切り替える。
「よく言ったわシンジ君。説明を……」
「ただし、条件が三つ」
リツコの台詞を遮るシンジ。
「一つ、僕がこれに乗っている間、ユウトさんを僕と話をできる場所に連れて行くこと、二つ、事が終わった後、直ぐに、いいか直ぐにだ。僕とユウトさん、それと六分儀司令が会談する場を設けること。三つ、この子を直ぐに病室に戻し、適切な治療を施すこと」
上段にいる髭面男を見据えながら言うシンジ。
さっきのユウトほどではないが、その視線には十分な怒気と殺気が乗っている。
『も、問題ない』
それに恐怖を感じながら、ごまかすように目線をそらし、そうつぶやくゲンドウ。
それを聞くとシンジは興味を失ったように目をそらす。
「さて、では行きますか。赤木さん、説明を」
「え、ええ、こっちよ」○○○
エントリープラグ内。
シンジはリツコから渡されたインターフェースヘッドセットを頭につけ、シートに腰かけていた。
シートの横には布から出された『福音』が立てかけてある。
紫色の刃は今は銀色の金属製らしい鞘に包まれている。
(懐かしいな……)
(そうですね)
独り言、と言うか独り思考をしていたシンジの頭に『福音』の声が響く。
その声には若干の喜色が見える。
(やはり、私にはこの体のほうが馴染みます)
(そう? 剣の『福音』もきれいだけど?)
などと話しているうちに、発令所では起動準備が行われていた。
『エントリープラグ挿入、固定完了』
『第一次接続開始』
『エントリープラグ注水』
その声と同時にプラグ内にLCLが注水される。
(LCL……か)
驚く演技をすべきか考えて、直ぐにその気をなくしてしまう。
少しだけあの赤い世界を思い出す。
(シンジ)
(うん)
励ますような『福音』の声に後押しされるようにうなずくと、肺の中の空気をLCLと入れ替えていく。
『大丈夫よ、シンジ君。それはL.C.Lと呼ばれる液体で、肺がそれで満たされれば酸素を供給してくれるわ。エヴァとパイロットの神経接続を助けてくれる役割があるの』
スピーカーからリツコの説明が流れてくるが、シンジは反応しないが、
「……気持ち悪い」
それだけは変わらなかった。
『我慢しなさい! 男の子でしょ!』
ミサトのわめき声が聞こえる。
無視しようかとも思ったが、少しだけ反撃することにした。
「じゃあ、貴方もこのLCLとやらに頭まで浸かっててください。僕がこれに乗っている間ずっと」
『う……』
「できないんなら余計なこと言わないでください。邪魔です」
はっきりと切り捨てるシンジ。
『ぬわんですっとぅえ〜〜!?』
『やめなさい! 葛城一尉。シンクロの邪魔よ』
となおもわめこうとするミサトに、リツコが待ったをかける。
『く……わ〜かったわよ!』
『……こいつ状況わかってんのか?』
ユウトがつぶやく。シンジはその様子を冷ややかな目で眺めていた。○○○
リツコは平然とするシンジの様子をいぶかしげに見つめていた。
それに気づいたミサトは声をかける。
「どうかしたの?」
「いえ、シンジ君、説明をする前にすでにLCLを肺に入れていたのよ」
「見間違いじゃない?」
「いいえ、確かにそうだったわ」
「知ってたっていうの? そんな馬鹿な。偶然じゃないの?」
「偶然? そうね、それならいいのだけど……」
リツコの疑念は晴れない。
(さっきの剣といい、わからないことが多すぎるわ。後で確認する必要があるか……)
ちらりと横目で後ろにたたずむユウトと、背に負った剣を見ながら、そう思考する。○○○
起動の手順は進んでいく
『主電源接続』
『全回路動力伝達、異常なし』
『第一コンタクトに入ります』
『LCL電化』
『A10神経接続、異常なし』
『思考形態は日本語を基礎原則としてフィックス』
電化されたLCLが透明化し、エントリープラグの内壁がさまざまな文様を映し出し、最後に周りの風景を映し出す。
『初期コンタクト、すべて問題なし』
『双方向回線、開きます』
「さてと、母さん……」
シンジはエヴァからのコンタクトを受けると同時にそのコアの中へとその意識を向けた。
コアへと潜ったシンジの精神は彼の母親、碇ユイの魂を探していた。
(シンジ、私が彼女を出します)
(頼むよ)
エヴァ初号機そのものとなっている『福音』のサポートを受け、シンジの目の前に碇ユイの魂が姿を現す。
それは、初期型であろう、幾分機械の部分が大きく、ごつごつした印象のプラグスーツを着た20代後半の女性の姿だった。
(起こせる?)
(私が接触すると彼女の魂を消し飛ばしてしまう可能性があります。シンジが呼びかけたほうが良いかと)
(わかった)
初号機に向いていた意識を母親へと向ける。
(母さん、母さん! 目を覚まして!)
その声にこたえるようにユイが目を覚ます。
(う……ん、ここは……貴方は誰? 私はどうなったの?)
彼女はその開いた目をシンジにむけ、幾分ぼうっとした様子でたずねる。
(いい、落ち着いて聞いて母さん。僕は碇シンジ。貴方の息子だ。そしてここはエヴァ初号機のコアの中。今は2015年。あの実験から10年経ってる)
(え……シンジ…? シンジなの!? 大きくなったわね……ってそうじゃないわ、どうしてここにいるの? シンジまで取り込まれてしまったの?)
(今から僕の知っていることを伝えるよ……)
シンジは自分の記憶を開放する。こうすることによって、精神体どうしである二人は記憶のやり取りを行う。
そしてユイはシンジが逆行者であることや、自分のいない間に何が起こったか、そして永遠神剣やエターナルの存在を知る。だが、エターナルに関しては、人々の記憶から消えてしまうことだけは伝えなかった。
(そう……そんなことがあったの……ゲンドウさん…信じていたのに)
(うん……僕は、もうあんな世界はごめんだ。そのために戻って来た。今は整理がつかないかもしれないけど、協力してほしいんだ)
(ええ……そうね。解ったわ。私の思っていた補完計画もあんなものではないもの)
潤んだ瞳に決意を載せてシンジを見つめる。
(ありがとう。でも、もうしばらくはここにいてくれるかな。頃合を見てサルベージするつもりだから、そしたらあの男を止めるのを手伝って欲しい)
(ゲンドウさんね……解ったわ)
(母さん、僕は母さんがあの男をどうするのかは別に気にしない。許しても良いし、許さなくてもいい。あの男がこれまでのことを反省して、母さんが許すならもう一度一緒に暮らしたっていい。ただ、人類補完計画は、サードインパクトだけは絶対に防ぐ!)
(ええ、解ったわ……それじゃあ、シンジ、またね……)
その言葉を最後にシンジの意識は浮上した。○○○
「シンクロ率……えっ!?」
「どうしたのマヤ? ちゃんと報告なさい」
「は、はい、シンクロ率400%……い、いえ! 急激に下がっています! 0%! !? また急上昇! 40.03%で安定! ハーモニクスすべて正常! 暴走ありません…エヴァ初号機起動しました……」
「……どういうこと?」
「解りません……機械の故障……ではないと思いますが……」
「どうしたの?」
尋常ではないリツコとマヤの様子に、ミサトはたずねる。
「今のシンクロ率の動き見たでしょう!?」
「見てたけど……いけないの?」
「呆れた……自分の組織の兵器の事位少しは勉強しなさい! いい? 通常シンクロ率がこんなに短時間にこれほど急激に上下するなんてありえないわ。それに最初の400%なんて、理論限界を遥かに超えているのよ!?」
よくわからない、という様子のミサトに、呆れながらも説明するリツコ。
「わ、わかったから落ち着いて……それで、どうなの? いけるの?」
「……予断は許さないけど、とりあえずは動くわ」
「それなら良いわ」
リツコはミサトの言葉に不満げ、というより、自分の危惧をこの作戦部長が理解できていないことが不安な様子だったが、ミサトは意に介さず、司令席へと目を向ける。
「よろしいですね?」
「ああ、使徒を倒さなければ、我々に未来は無い」
手を顔の前で組んで表情を隠す、いわゆるゲンドウポーズをとりながら、髭面の司令はそういった。
その言葉にうなずくと、ミサトは号令を発しようとする。
「エヴァ初号機、発し……」
「待て」
と、そこにユウトの声が割ってはいる。
「何よ!」
自分の号令を邪魔されたミサトは振り返りながら不快げにどなる。
『どこに出すつもりですか?』
ユウトの目配せを受けてシンジが聞く。
「どこって、使徒の前に決まってんでしょ!」
『距離は?』
「近くによ!!」
「……オペレーターの方、具体的には?」
要領を得ないミサトの返答に呆れながら、ユウトはメガネのオペレーター日向マコトに向かって尋ねる。
「あ、ああ、使徒は現在移動をやめて静止している。その正面約100mの発進口から射出する予定だけど……」
『……却下です』
ため息をつきながらシンジは言う。
「何でよ!? いまさら怖気づいたの!?」
これから戦場に向かう子供に、それも向かわせようとする本人が言う台詞ではない。
その様子を見ていたユウトは呆れたため息をつきながらミサトに告げる。
「慣らし運転をする時間もやらないつもりか? 100mなんてこの大きさなら目と鼻の先だぞ? ……そうだな、使徒の後方に出口はありますか?」
後半は日向に向けた言葉だ。
「そうだね……左後方250m位のところにあるけど……」
「では、そこに出してください。シンジもそれで良いな」
『はい』
「わかった」
「ち、ちょっと、指揮をするのはあたしよ!?」
後方でミサトがわめくが、
『では碇シンジ、初号機、出ます!』
無視。
「ああ、行って来い!」
「了解! 死ぬなよシンジ君……初号機、射出!」
ちょっと、日向君!? シンジ君もよ! 私の命令を聞きなさい! あんた何勝手なこと言ってんのよ!!?
ミサトのわめく声がするが、射出Gに耐えるシンジの耳には入っていなかったし、発令所の誰もが無視していた。○○○
道路の射出口が開き、地下からレールが現れる。
そして勢いを殺すことなくエヴァ初号機が音を立てて地上に現れる。
なおもわめいていたミサトを、
「早くこれ をはずしてください! 殺す気ですか!?」
『は、はひ』
一喝で黙らせるシンジ。
『さ、最終安全装置解除! エヴァ初号機、リフトオフ!』
同時に最後に固定されていた肩の拘束がはずされる。
右前方250メートル、人間の感覚で言うならば7〜8mほどだろうか。
そこには黒い異形の影が見える。第三使徒サキエルである。
「行きますか……」
ここに、後に第一次直上会戦と呼ばれることとなる、人類と使徒の初めての決戦が始まった。