第一次直上会戦から三日後。
薄暗い部屋にぼんやりと浮かび上がるセフィロトの文様とその上に立つ三つの人影。
NERV本部の最上階にある司令執務室。
そこには司令である六分儀ゲンドウと副司令である冬月コウゾウ、そして技術部の部長を務める赤木リツコの三人がいた。
「サードチルドレンに関してはご報告申し上げたとおり、DNAを調べた結果では彼は碇シンジ本人にほぼ間違いありません」
「こちらも諜報部から報告があがってきている」
リツコの言葉に答えたのは冬月だ。
「戦自や他の組織との接触の気配は皆無だそうだ」
ただ、と続け、
「四年前から部屋に引きこもっていた、との報告だったが、どうやら京都の碇本家に身を寄せていたらしい」
「ではあの高嶺ユウトという少年は……」
「うむ、碇の分家の一つ、高嶺の現当主らしい」
「分家とは言え当主ですか? あの若さで?」
「詳しいことはまだ調査中だが……」
驚いたように問うリツコに冬月は口を濁した。
碇財閥と言えば世界でも有数の経済力を持つグループである。当然防犯防諜の対策もその名に恥じないものだ。
いかに特務権限を持つとは言えNERVの諜報部はゲンドウが自らの命令に忠実なものだけを集めたために、はっきり言って二流や三流の集まりであり、更に言えば二重、三重スパイの宝庫だ。彼らの調査では限界があるのは自明の理であった。
「……サードとあの少年の周りに監視をつける。調査は引き続き続行させる」
ボソリ、とつぶやくように、しかし断定的に言葉を発するゲンドウ。
「奴がシンジ本人であるならば、それでかまわん」
あいつの役目はユイを目覚めさせる鍵に過ぎん、と続ける。
「お前がそう言うならかまわんが……」
と言うものの納得いかない様子の冬月だったが、
「どちらにしろ、使徒は殲滅せねばならん。そのためには奴を初号機に乗せるしかあるまい」
「む……そうだな」
続くゲンドウの言葉に論破される。
「サードに関しては今はそれでいい」
そう言ってリツコに顔を向ける。
「初号機のコアは?」
「……現在調査中ですが、若干波長の変化があるようです。サードチルドレンとのシンクロが原因と思われますが、覚醒の兆候と呼べるかはまだ……」
答えながらリツコは考える。
(所詮、私は……いえ、私も道具でしかないのかしら…?)
実の息子であるはずのシンジを道具として扱うゲンドウの様子を見て思うところがあるらしい。
「では引き続き調査を続行しろ」
その思考を妨げるようにゲンドウが命じた。
「はい」
リツコの返事を聞くとゲンドウは立ち上がる。
「私はこれから出張だ……留守の間は任せる、冬月」
「ああ、できるだけ予算を取ってきてくれよ」
「……問題ない」
お決まりの台詞を吐いて司令室を後にするゲンドウ。
残された二人は心の中で「本当に大丈夫か?」と思っていたが、黙って見送った。
「……シンジ君は今日から学校ですか?」
「……ああ、どうやって潜り込んだのか、また、彼がどこまで知っているのかは不明だが、第壱中学校、2年A組だ」
ポツリと冬月に尋ねたリツコだったが、電柱の答えに黙り込む。
第壱中学校2年A組。そこはエヴァへの、ひいては補完計画の生贄を集めた場所だった。
当然、ここに入る生徒を管理しているのはNERVである。
そのNERVに知られること無く、第壱中2-Aへと転入を果たした碇シンジ。
黙り込んだ二人は底の知れない少年に対し若干の畏怖を感じていた。○○○
「京都から来ました、碇シンジです。よろしくお願いします」
見知った顔の並ぶ教室で転校生として迎えられる、ということに不思議な感覚を覚えながら、シンジは2-Aの教室で挨拶をしていた。
(良かった。トウジがいる。妹さんは無事だったみたいだな)
ざわめく生徒たちの視線を受けながら、シンジはかつて親友だった少年の顔を見つけ安堵した。
それは意図せずに優しさを感じさせる微笑みとなり、その微笑みはシンジ本人は気付くことなく、教室の中の女子を撃墜していく。
(すっごい美少年……男の子にも綺麗って使えるんだ……)
(か、かっこいい……そして、かわいい!!)
(彼女いるのかな…?)
(わ、私にだけ微笑んで……!)
(くそ、俺だって負けてない……はず)
(俺はホモじゃない俺はホモじゃない俺はホモじゃない……!)
(売れる、売れるぞぉ!)
なにやら様々な情念が渦巻く教室。
と、そんな中、シンジは妙なことに気付いた。
(なんか、女子からの視線が妙に熱い気がする。それに男子には睨まれてるような……)
もともとシンジは中性的ではあるが、整った顔立ちをしている。前回の歴史においてはそれを見事にマイナスにする辛気臭い雰囲気をまとっていたシンジだったが、現在は確固たる目的と4年間のユウトたちとの訓練や様々な修行を経て過不足の無い自信を持っている。
それは中学生としては稀有なものであり、懐かしい顔のクラスメートたちの目には外見を超えた魅力として映っていた。
異性に興味を持ち始める時期、女子にはそれは素直に受け入れられたが、男子一同はそうではなかった。中性的な美少年に女子たちが目を輝かせている様子を見れば、嫉妬してしまう。
故にシンジは女子からは熱い視線を、男子からは睨みを受けることになったのだ。一部だけ別の視点から見ている男子生徒もいたが。
当然のごとく、シンジはこのことに気付いておらず、
(ま、いいか)
とあっさり気にしないことに決めていたが。
「碇君の席は窓際から二番目の空いている席です。隣の席は今日休んでいる生徒のものですから間違えないように」
「はい」
担任の言葉に笑顔でうなずいて、自分の席へと向かうシンジ。
(綾波の隣か……)
『前回』の歴史では、自分が指定されたのは別の席であった。今回指定された席の隣にはレイが座っていたはずである。
(僕の席には誰がいるんだろう?)
と、自分の席だったほぼ教室の中央の席を見ると、そこに座っているのは青い髪と瞳の少女――ユーフォリアだ。
彼女はシンジの視線に気付くと、軽く手を振って微笑む。
シンジはそれに目線だけで答えながら、席についた。
シンジが席についたのを見届けると、担任の老教師は、
「さて、一時間目は私の授業ですが、碇君に質問などもあるでしょうから、今日は自習にします」
と言い残し、職員室へと帰っていった。
実は、持病の腰痛が酷くて立っているのが辛かった、と言うのは担任教師、通称根府川先生だけの秘密であったが。
担任が出て行った直後、シンジの席を取り囲むように女生徒が殺到し、それを取り囲むように男子生徒が陣取る。
「ちょっとみんな! 他のクラスは授業があってるんだからもう少し静かに……!」
そばかすがチャーミングな委員長こと洞木ヒカリが声を上げるが、一向に気にした様子も無く、
「よろしく、碇君!」
「前住んでたのってどんなトコ? 今はどこに住んでるの?」
「何でこんな時期に転校してきたの?」
「彼女いるの?」
などと騒ぎ立てる。まさしく喧々囂々といった雰囲気である。
シンジもあまりの騒ぎに答えることもできずに呆然としていると、
パンパンパン!!
突然の音に一斉に静かになる教室。
見れば蒼髪の少女――ユーフォリアが人垣を掻き分けてシンジのそばへとやって来るところだった。
どうやら彼女が手を叩いて喧騒を制したらしい。
「もう、みんな? ヒカリちゃんが静かにって言ってるんだから少しは静かにしようよ。それに彼だってそんなにいっぺんに聞いても答えられないでしょ?」
そう言ってシンジの傍らに立つと、
「だけど、相変わらずもてるね、シン君は」
と座ったままの少年に話しかける。
「そうかな?」
不思議そうな顔で聞き返すシンジに大きなため息をついて、
「何でそんなトコばっかりおと……じゃなかった、お兄ちゃんに似るかな……?」
お兄ちゃんとはユウトのことである。碇家に用意してもらった戸籍上ではアセリアとユーフォリアは姉妹である。よって姉の伴侶たるユウトは義兄と言うことになるので、ユーフォリアはユウトをお兄ちゃんと呼ぶことにしていた。
「高嶺さん、彼と知り合いなの…?」
親しげに話す二人の様子に、疑問を抱くクラスメートたちを代表してヒカリが尋ねる。
ちなみにユーフォリアはユーフォリア・E ・高嶺と名乗っている。エターナルは『悠久』のエターナルである。
「えっと……友達?」
シンジと顔を見合わせてユーフォリアが答える。
「親戚……かな?」
こちらはシンジ。
「幼馴染!」
「姉弟弟子とか」
「私別にお兄ちゃんの弟子じゃないよ?」
「じゃあ、姉と弟」
「家族ではあるかな?」
と、二人でいろいろと関係を表す言葉を上げていくが、周りから見ている人間には訳がわからない。
「ええと、二人とも?」
ヒカリが口を挟むと、
「ああごめん。つまり、僕は彼女の義理のお兄さんの親戚で、その人に昔からお世話になってるんだ」
彼女のお兄さんとお姉さんも昔からの付き合いで、そのおかげで彼女と知り合ったんだと続けるシンジの言葉に、クラスメートたちも納得しかけたが、
「こっちでは一緒に住むことになってるの♪」
と楽しげに告げたユーフォリアの一言が原因で爆発を起こした。
「「「なんだって〜〜〜!!??」」」
「「「ええ〜〜!? うそ〜〜!?」」」
「不潔よ〜〜〜!!!」
「ユ、ユーフィ!?」
あわてて止めようとしたシンジであったが、時すでに遅し、すでに爆弾は落ちていた。
さらに、シンジが彼女を愛称で呼んだことがさらに火に油を注ぐこととなった。
ユーフォリアも極上と冠詞をつけてもいい美少女である。加えてその明るく屈託の無い性格から男子女子を問わず人気がある。転校して数週間であったが、すでに校内でも有名人、クラスではアイドル的な存在となっていた。
彼女とお近づきになろうという男子生徒も皆無ではなかったが、そのあまりの人気から名字にちなんで「高嶺の花」と呼ばれ、影では紳士協定すら結ばれていた。
最もユーフォリアはそれに気付いておらず、その辺鈍感なシンジを馬鹿にすることはできないのだった。本人は自分は鋭いつもりだったが。
ともかく、そのクラスのアイドルであるユーフォリアに突然親しい男子生徒が現れ、しかも同棲(正確には同居であろうが)すると言う。
詳しいことを聞かんと、対象をシンジからシンジとユーフォリアに変更したクラスメートたちは質問攻めを開始する。
「ちょっとみんな! 静かに! 静かにしなさい!!」
何とか立ち直った委員長が制しようとするが、ヒートアップした群集に個人の力が通用するはずも無く、この騒ぎは怒鳴り込んできた隣のクラスで授業をしていた教師やそのクラスの生徒たちも巻き込んで、授業終了のチャイムが鳴るまで続くこととなった。○○○
ところ変わって第三新東京市第壱高校3年A組。
ここではユウトが転校生として自己紹介をしていた。いつもの風変わりな羽織はさすがに羽織っていない。開襟シャツと黒のズボンという、常夏となった日本では普遍的な男子生徒の制服である。
「どうも、京都から来ました高嶺ユウトです」
よろしく、と締めくくったところで、担任教師が
「高嶺の席はそこだ」
と、中央よりやや窓際の列の一番後ろの席を指す。
当然と言うかご都合主義と言うか、隣の席に座っているのは蒼い髪が目に鮮やかな美少女――アセリアであった。
ちなみに彼女はアセリア・L ・高嶺と名乗っている。「ラスフォルト」とは彼女が生まれた世界の古い言葉で「気高き者」を意味する。もともと戦争の道具として扱われてきたスピリットたちがその宿命から解放されたときに与えられた名字である。彼女はこの言葉を気に入り、誇りに思っていた。
指定された席に座り、隣のアセリアに話しかける。
「よ」
「ん」
「よろしくな」
続く言葉には無言で微笑み、うなずく。
何気ないやりとり。
だが、その光景はそれを見ていた生徒たちに多大な衝撃を与えた。
(((た、高嶺さんが微笑んでいる!!!???)))
(((アセリアさん! 抜け駆けは無しよ〜〜!!??)))
見目麗しいものの、無口でとっつきにくいアセリアは第壱中2-Aに所属する怪我の多い蒼銀の髪の少女のような扱いをされていた。
つまるところ、「話しかけるだけ無駄、遠くに見て愛でるもの」と言った感じである。
また、ユウトも一見ぶっきらぼうに見えるものの、戦場に鍛えられた引き締まった体躯を持ち、シンジのような「美少年」と言うわけではないが、意志の強さを感じさせる瞳と大きな包容力を感じさせる微笑は女子生徒の多くを魅了していた。
めったに笑わないアセリアが微笑むというだけでも前代未聞だが、その相手がかっこいい転校生ということで、教室の中は静かにヒートアップしていた。
しかしながら、さすがに高校である。教師も授業をつぶして自習にすることも無く、生徒たちもとりあえず授業を受けている。
(二人は付き合ってるのか? 確か高嶺さんも京都からの転校だったし……)
(アセリアちゃんは俺んだ! あんなぽっと出にとられてたまるかよ!)
(負けない! 負けないわよアセリアさん!)
(二人とも「高嶺」……親戚かな? そうだよね、そうに決まってるわ!)
もっとも、まじめに授業を聞いている生徒は極一部だったが。
この後の休み時間、二人の関係を尋ねる生徒が一斉に殺到し、アセリアがごくあっさりと「夫婦」と答えて大騒動になるのだが(セカンドインパクト後の人口減に歯止めをかけるため、若年婚が認められている)、それはこのときのユウトにはあずかり知らぬことであった。○○○
NERVが運営する病院の一室。
綾波レイはベッドの上に半身を起こしてぼんやりと外を眺めていた。
考えているのは二人の人物のことである。
一人は自分を生み出し、自分を受け入れてくれる唯一の存在だと思っていた男――六分儀ゲンドウ。
もう一人は、ゲンドウの息子でありながら、ゲンドウを否定し、自分と絆を結ぼうと言った少年――碇シンジ。
ゲンドウは今日の午前中、レイの病室を訪れていた。
そして男はレイにいつものように繰り返した。お前は人間ではない、と。そして、それを知っていてレイを拒絶しないのは自分だけだと。
すぐに仕事があると言って出て行ってしまったが、男の言葉はレイの心に深く突き刺さった。
レイの中には確かにある。自分が人間とは違うモノであるという確信が。
そして、同時にあるのは孤独への恐怖だ。
一人ぼっちは嫌、一人ぼっちは怖い、一人ぼっちは寂しい……
心の底に深く沈み、本人すらも気付いていない本能的な感情。
それがあるから、レイはゲンドウに従っていた。
私には何も無い。私は人間ですらない。人間で無い私は一人ぼっち。でも、この人は私を拒絶しない。この人が私を拒絶したら私は一人ぼっちになってしまう……。
レイはぼんやりと自分の心の動きをたどる。
そして、思い浮かぶシンジとのやり取り。
『他に何も無いのなら、新しい何かを見つければいい』
『新しい何か……?』
『そう。だから、最初に僕と絆を結ばないか?』
その言葉に思わずうなずいてしまった。
よくわからないけれど、暖かいもので胸があふれた。
あの日からシンジは毎日レイの病室を訪れていた。
少年との会話にレイは暖かなモノを感じていた。嫌ではない。気持ちの良い感覚だと思った。
でも、と考える。
もし、ゲンドウの言葉が正しいなら。
もし少年が自分が人間でないことを知ってしまったら……
彼は私を拒絶しないだろうか?
少年の笑顔を思い出して、レイはポツリとつぶやいた。
「シンジ君……」
それにかぶさるように、病室の扉をノックする音が聞こえた。
「……はい」
ゆっくりとレイは返事をする。ノックをしたのがあの少年であることを願いながら。○○○
シンジは返事を確認すると、病室の扉を開き、笑顔でレイに話しかける。
「やあ、レイ。こんにちは」
「……こんにちは、シンジ君」
かすかに表情を動かしながら返事をするレイ。
本当に極わずかにだけ頬を緩めるレイを見ながら、シンジは微笑む。
ちなみに、友達になった次の日のお見舞いでシンジは「挨拶されたら返事をすること」とレイに説教をした。
それ以降、彼女は看護師や医師の診察の際にもきちんと挨拶を返すようになり、その容貌も相まって、看護師たちの間で「お人形のようにかわいい女の子」として人気者となっているのだが、それはまた別の話。
シンジは何時ものように面会者用の椅子を引っ張り出すが、今日は何時もと違って座らなかった。
「……?」
小首をかしげて目線だけで疑問を表すレイをほほえましく眺めながら、
「今日はレイに紹介したい人がいるんだ」
と告げた。
「……紹介したい人?」
「そう。僕の……家族でね、その人にレイのことを話したら、『私も友達になりたい』って言い出してね」
「友達……」
「そう……僕とは別の、また新しい絆だよ」
「…………」
一瞬、サングラスの男の顔が頭をよぎり、先ほどの思考が浮かぶが、
「いいわ」
胸に浮かんでくる暖かいモノに突き動かされるように、そう答えていた。
「ありがとう」
「どうして……お礼を言うの?」
「うれしいからだよ。レイにまた新しい絆ができたし、僕の家族にも新しい絆ができたから」
「……そう」
「ふふふ……そろそろ呼ばないと、きっと廊下で待ちくたびれてるからね」
笑いながらそういうとシンジは廊下へ声をかける。
「入っておいでよ、ユーフィ」
その声が終わるか終わらないかの所で勢い良く扉が開かれると一人の少女が入ってきた。
「も〜〜! シン君ったら引っ張りすぎだよ! 待ちくたびれちゃったじゃない!」
愛らしい頬を膨らませながら、シンジに食って掛かる少女。
レイもよく知る第壱中学校の制服に身を包んだ青い髪の少女である。
その手に携えた大きな杖が違和感を与えているのだが、レイは気にしていなかった。
ただ、その杖を見た瞬間、レイはそれを知っているような、懐かしいような、不思議な感覚にとらわれた。
だが、それは一瞬で過ぎ去ってしまい、彼女はそれを気のせいだと思った。
「まあまあ……レイ、彼女が君の新しい友達、ユーフォリア・E・高嶺だよ」
ユーフォリアをなだめながらシンジがレイに話しかけると、
「はじめまして、レイちゃん! あ、レイちゃんって呼んでもいい? 私はユーフォリアだよ。お友達になってくれてありがとう! 私のことはユーフィって呼んでね!」
あっさりとシンジを放り出してユーフォリアが弾丸のような勢いで話しかける。
それに対して、目を瞬かせるばかりで反応できないレイ。
「でも本当にかわいいね。それにその髪、とっても綺麗! でも、あちこち包帯だらけ……大丈夫なの?」
そこまで来てやっと落ち着いたユーフィに対し、レイは
「……問題ないわ」
と答えた。
「ユーフィ、少し落ち着きなよ。レイがびっくりしてるじゃないか」
「あ、ごめん、うるさくしちゃったね」
「……いいわ」
「ありがとう。改めて、私はユーフォリア・E・高嶺。ユーフィって呼んで。よろしくね、綾波レイさん」
にっこりと微笑むユーフォリア。
「……よろしく、ユーフィさん。私も、レイ…でいいわ」
「ふふふ、よろしくレイちゃん」
かすかに微笑みながら返事をするレイにユーフィも満面の笑みで答えた。
「さて、自己紹介もすんだところで……ユーフィ」
「解ってる」
少しだけ真剣な表情になる二人。
「……どうしたの?」
レイが尋ねる。
「今から、レイちゃんの傷を治すのよ」
「……?」
答えるユーフィに、レイは意味がわからない、と言うように首をかしげる。
「まあ、見ててよ」
そんなレイに微笑みかけながら、ユーフィは手にした杖をゆっくりと横にして両手で体の前に構える。
「生命の源たるマナよ……私の声にこたえて……」
小さくつぶやくユーフィに答えるように、ふわり、と風が巻き起こる。
ユーフィの願いに応えたマナがエーテルとなって渦を巻き、風を起こしているのだ。
同時に彼女の支える杖がぼんやりと白く柔らかな光を纏う。
その光景は不可思議で現実離れしているが、とても美しいものとしてレイの目には映った。
「輝くマナの活力を我が友に分け与えん。マナリンク」
そうユーフィが結ぶと同時に、杖に集まっていた白い光がユーフィとレイの体を包む。
「……暖かい……」
ぽつりとつぶやくレイ。
言葉通り、彼女は自らを包む光から、陽だまりの中にいるような暖かさを感じていた。
同時に気付いた。包帯の下でじくじくと感じていた傷の痛みが消えていることに。
「……痛くない……どうして…?」
腕に巻かれた包帯をはずしてみると、そこにあったはずの傷跡はすでになくなっていた。
「……これは……?」
不思議そうにシンジとユーフィの二人を見つめるレイだが、
「秘密♪」
「だよ♪」
顔を見合わせた二人は楽しそうに答えた。
その後三人でシンジが2-Aに転校してきたこと、三人が同じクラスであることなどを話していると、ガラリ、といきなりドアが開き、
「レイ、診察の時間よ……あら、シンジ君。珍しいところで会うわね」
入ってきたのは金髪に白衣を着て、小さな銀色のケースを提げた妙齢の美女、赤木リツコである。
「こんにちは赤木博士。僕らはレイのお見舞いですよ」
「そう……そちらの子は?」
「僕の友人です……っとああ、そうだ、赤木博士」
と、何かを思い出したように、ガサゴソとポケットをあさり、一枚のメモをリツコへと差し出す。
「これは?」
「前に言ってたIDを作って欲しい人たちのメモです。ちなみにこっちのユーフィもそこに書いてある一人です」
「はじめまして、赤木リツコさんですね? 私はユーフォリア・E・高嶺です」
シンジがユーフォリアを示すと、彼女もリツコに対して会釈をして自己紹介をする。
「そう、私は赤木リツコ。NERVの技術開発部の責任者よ。よろしく」
そう言って握手をする二人。
(こんな子を発令所に入れてどうしようと言うのかしら? でも高嶺……ということは彼女も碇の関係者? 見た目で判断はできない……か)
その間にも思考をめぐらせるリツコを見ながら、シンジは考える。
(これは、レイとリツコさんを完全にこっちに引っ張るいい機会……かな?)
そう考えてユーフォリアに目配せをし、
「それじゃあ、僕たちはこの辺で失礼します。診察の時間なんでしょ?」
そう言いつつ立ち上がり、行こうかユーフィ、と声をかける。
「うん。じゃあまたね、レイちゃん」
「……ええ」
「それじゃあね、レイ。また来るよ」
「……また」
二人はレイに声をかけると病室を後にした。○○○
残されたレイとリツコ。
リツコは驚愕していた。
二人と話すレイの様子に。
微笑んでいるのである。
本当に極わずか、かすかなかすかな微笑だが、この少女が感情を見せるのはゲンドウにだけだったはずである。
それが、たった三日前に出会った少年に微笑を向ける。そして彼女も微笑を向けられる。
傍から見れば微笑ましい光景。
だが、リツコにとってそれは彼女をイラつかせるだけの光景だった。
「……ずいぶんと、仲がいいのね」
自分で思っている以上に冷たい声が出るのが解った。
「……別に」
答える声にも感情がこもっていない。
先ほどの二人に対してはかすかであるがこもっていたものが、今は感じられない。
リツコの胸に黒い感情がわきあがる。
嫉妬と罪悪感と劣等感が交じり合い、自分でも訳のわからない衝動が押し寄せる。
「ふふふ……たいしたものね。親子二代にわたってたぶらかすなんて」
「…………」
「でも、さっきの二人は知っているのかしら? 貴方が……」
そこで言葉を切る。しかし、レイには彼女の言葉の先が聞こえていた。
貴方が、人間じゃないということを。
ビクリ、レイの体が震える。
「本当のことを知っても……あの二人は貴方を拒絶しないかしら?」
「…………」
レイは答えることができない。
「あら、怖いの? 拒絶されることが。人でなくても心はあるのかしら?」
黒い衝動に流されるように言葉を続けるリツコ。
だが、震えるレイの姿を見て言葉に詰まる。
思い出すのは幼いレイの姿。
自分を姉と慕ってくれた、一人目のレイの姿。
頭を振ってその姿を追い払う。
後に残るのは言いようの無い罪悪感だけ。
「ごめんなさい。言い過ぎたわ」
ぽつりとそう言うと、持っていた銀色のケースからアンプルと注射器を取り出す。
「腕を出して」
注射器に薬液を吸い取りながらそう言うリツコ。
レイはそれに力なく従う。
レイの腕を取り、リツコが注射器の針を刺そうとした、その時だった。
「はい、そこまで」
声と同時、少年の細い指がリツコの持つ注射器を掴む。
「え!?」
そして、少年とは思えぬ強い力でリツコの手から注射器を取り上げると、床に落として踏み潰した。
プラスチックの割れる乾いた音が室内に響く。
その音を立てたのは、先ほど出て行ったはずの少年であった。
「シ、シンジ君!?」
「や、どうも」
驚愕の声を上げるリツコに右手を上げてにこやかに微笑むシンジ。
「ど、どこから……」
「ドアからですよ」
入ってきたの、と聞く前にシンジが答える。
扉のほうを見るとユーフォリアが扉をふさぐように立って、無表情にリツコたちを見つめている。
ベッドの上のレイは震えていた。
(聞かれていた? ……知られてしまった? 私が、人間ではないということを……)
ユーフォリアは無表情のままベッドに近づくと、リツコには一瞥も与えずにレイに寄り添うようにベッドに腰掛ける。
「……ユーフィさん?」
震える声を発するレイ。
その姿と表情が彼女の拒絶されることに対する大きな恐怖を物語っていた。
「大丈夫」
そんなレイの姿にユーフォリアは少しだけ微笑むと、一言だけそう告げる。
「え?」
(知られてしまったわけではないの……?)
ユーフォリアの言葉にそう考えるレイだが、不安は消えず、その表情は硬い。
と、リツコに相対していたシンジがベッドまで歩み寄るとレイの頭をそっとなでた。
「……あ………」
思わず表情が緩むレイ。
「……僕たちは知っている」
が、シンジのその言葉に体をピクリと震わせ、怯えた表情でシンジを見つめる。
「……君がどうやって生まれたかということ、君が人間じゃないということを」
シンジの声には辛そうなものが混じる。
「わ、私は……」
レイは否定の言葉を発しようとするが、言葉が続かない。
「大丈夫」
と、ユーフォリアがレイの手に自らのそれを重ねてそう言った。
震える瞳でそんな彼女を見つめるレイ。
「大丈夫だよ。私たちはそんなことで貴方を拒絶したりしない」
そう言って微笑み、ね、とシンジに問いかける。
一方のシンジは厳しい表情を浮かべながらレイに話しかける。
「確かに君は人間じゃない。でも、それがどうした?」
「え?」
「僕らが友達になったのは、ファーストチルドレンでも、リリスの端末でも、ましてや碇ユイのクローンでもない」
「あ……」
「綾波レイという君自身と友達になったんだ」
そこまで言って笑顔を浮かべると、
「君が君である限り、僕たちは君の味方だよ」
そう優しく語りかけた。
レイは少年の言葉を呆けたように聴いていた。
だが、その言葉の意味が頭に沁みこんでくるに従ってその胸には暖かい感情があふれていく。
そしてそれは、涙となって少女の瞳から溢れ出た。
「私…わたしは……」
言葉が続かずに、ただ溢れ出る涙を拭おうとするレイ。
だが、ユーフォリアがその手を止め、少女の頭を抱きしめると、そっと胸に包み込んだ。
「泣いていいよ。人はうれしいときにも涙を流すの。それは貴女に心がある証。貴女が人形なんかじゃない証だから」
それを聞いたレイは力を抜いてユーフォリアに身を任せる。
(初めての涙……そう、私、うれしいのね……)
やがて、レイは泣き疲れたのか、ユーフォリアの胸のなかで穏やかな寝息を立て始めた。
それを微笑みながら見つめていたシンジだったが、
「さて」
す、と声を落とすと、顔から表情が消える。
そして三人の様子をただ呆然と眺めていたリツコに声をかける。
「何をしようとしていたか、わかっているのか? 赤木博士」
感情のこもらない声でそう問いかける。
「何を、って……私は治療を………」
「自分を誤魔化すのはやめるんだ」
シンジの声にピクリ、と反応するリツコ。
「免疫系を抑制する特殊な薬品……習慣的に投与することで耐性ができ、ある程度効果が抑えられるが、今度は投与を中止すると急激に免疫機能が落ちて最悪死にいたる」
まるでたちの悪い麻薬だ、と吐き捨てるようにつぶやくシンジ。
「な……どうして……」
「僕らは貴方たちがレイにやってきたことはすべて知ってるよ」
「な!?」
「食事は栄養剤だけ。住んでるところは廃墟。ろくに人とあわせずに一人の男だけを見るように精神誘導する……何様のつもりだ、彼女は道具じゃない」
「そ、それは……」
静かに問うシンジに、リツコは答えることができない。
「あの男のためだと言うのか?」
「な!?」
本当にこの少年はどこまで知っているのだろう。
今更ながらにリツコはこの底の知れない少年に慄然とする。
「よく考えるんだ、赤木博士」
じっとリツコの目を見つめながらシンジは続ける。
「貴方がここまでする価値が、本当にあの男にあるのか?」
「っ…………」
リツコは答えることができない。
その顔には焦燥が浮かび、助けを求めるように視線をさまよわせる。
「僕に言われなくても本当はわかっているはずだ」
シンジは厳しい表情を崩さない。静かに、だが、苛烈な意志を含んだ声でリツコを糾弾する。
「貴方は……あの男に汚された惨めさを認めたくないために、自分の母へのコンプレックスを認めたくないために、あの男を愛していると思い込んでいるだけだ」
きっぱりとそう告げた。
その言葉についにリツコの感情が爆発する。
「じゃあ、じゃあどうすればよかったと言うのよ!?」
髪を振り乱してシンジへと詰め寄る。
「解っていたわ! 解っていたわよ!! 自分のやっていることが許されないことだって! どんなに非道で人の道から外れたことだって!! でもああするしかなかった! あの人に従うしかなかったのよ!」
リツコの目から涙があふれる。
「解っていたわよ! 私はあの人が怖かっただけだってことくらい! でも……でもあの人を愛しているって、そう思わなければ私は立ち直れなかったのよ!!」
そこまで言うと、リツコはそのまま力を無くしたように床に座り込む。
その瞳からは涙がとめどなくあふれていく。
「どこに行っても科学者としての私は『母さんの娘』でしかなくて……あんな形で女としての私も汚された……その惨めさが貴方たちにわかるの? たとえそれが私を犯した張本人だとしても、必要としてくれる相手にすがるしかなかったのよ……」
つぶやくような声で言葉をつむいだリツコは、そのままただ涙を流し続けた。
そして、
「なら、今はどうなんですか?」
「……え?」
発せられた少年の言葉の意味がよくわからずに、ぽかんと見上げるリツコ。
「あの男を愛していないことを自覚した今、貴方はそれでもあの男に従うんですか?」
「それは……」
言葉を濁すリツコ。
もちろん、従いたくは無い。従いたくは無いが、かと言ってどうすればいいのかもわからない。
「……私にどうしろと言うの…?」
そして、シンジの意図を測ろうとそう問いかける。
「もううすうす理解していると思いますが、僕たちは人類補完計画を阻止するために来ました。あの男の計画も、そしてSEELEの計画もです」
「補完計画にSEELEのことまで知っているのね……」
静かに答えるシンジの言葉にもはや驚くこともできないリツコ。
「その目的のために、貴方に協力して欲しいんです」
「そう……」
「SEELEの計画については知っていますか?」
「ええ……人類を一つの生命体へと還元し、SEELEが造物主となって新たな世界を構築する」
答えながらリツコは思う。馬鹿げた計画だ、と。客観的に見てみれば絵空事以外の何者でもない。
「では、あの男の計画については?」
「……SEELEの歪められた計画を是正する、と言っていたわ。碇ユイが目指した本当の意味での人類の補完……他者とのつながりを求める欠けた心を持つ依り代を使うことで、心の壁を削り、人類の相互理解を促進する計画だ、と聞いていたけれど」
「ふむ」
リツコの言葉に一つうなずくと、シンジは
「それは嘘っぱちです」
と言い放った。
「……どういうこと?」
「薄々は感づいていたんでしょう?」
憮然と聞き返すリツコに質問で返したシンジ。
リツコはシンジの言葉を肯定するよう黙ったままうなずいた。
「あの男の目的は、すべての人類が一つになる瞬間、碇ユイと邂逅すること。ただそれだけです」
「……やっぱり、そういうこと……だったのね……」
「どうするかは貴女の自由です」
シンジは待つ。リツコが自分で決断を下すことを。
それにはそう長い時間はかからなかった。
まだ、迷うように床に視線を落としていたリツコだったが、ベッドの上、蒼髪の少女の胸で眠るレイをしばらく見つめると、やがてその顔に強い意志を秘めた表情が浮かぶ。
「やるわ」
そう言って立ち上がる。
「貴方たちに協力する」
そうシンジに告げる。
「いいんですね」
「ええ。自分の心を理解した今、あの男に未練は無いわ。そして、自分の犯した過ちを雪ぐにはこれが一番の方法だと思うから」
そう言うリツコの顔には先ほどまで浮かんでいた暗い表情は欠片も見当たらない。
そこでようやく笑顔を浮かべたシンジはリツコに手を差し出す。
リツコも微笑みながらその手を握り返した。
「歓迎します。リツコさん」
「ありがとう……やっと名前で呼んでくれたわね」
そう言って、ふふ、と声を出して笑う。
レイを見つめる瞳にはわずかに翳りがあり、彼女への罪悪感をうかがわせるが、それすらも飲み込んだ決意の微笑みを浮かべるその顔は、凛々しく、そして美しく見えた。