第六話


教室ではカリカリと鉛筆がノートの上を走る音がしていた……訳ではない。

もちろん、2015年を迎えたこの時代でも多くの学生にとってノートと鉛筆、あるいはシャープペンシルと言った筆記具は必需品である。

しかし、ここ第三新東京市第壱中学校においてはそれは当てはまらない。

ノートや教科書の代わりに生徒たちの机に並んでいるのはノートパソコンである。

生徒たちは学校からこのノートパソコンを貸与されており、それを使って授業が行われているのだった。

このPCは校内のローカルネットにのみ接続できるようになっており、連絡事項の発信や課題の提出などにも使われている。

ネットワークを用いた新たな教育の可能性を探るためのテストケースという建前である。

外部のインターネットに接続できないことに不満を漏らす者もいないわけではないが、もちろん生徒間のメールやチャットのやり取りもできるため、多くの生徒には重宝されている。

もっともこの街にある限り、学校のローカルネットもNERVのホストコンピューターであるMAGIの管理下にあり、学生=エヴァパイロット候補の監視と管理を行うための方便であったが。


話を教室に戻す。

気だるい空気の流れる教室。

今は四時限目。すでに生徒たちの意識は授業ではなく次の休み時間に向かっている。

教壇に立って……否、座っているのはメガネをかけた高齢の教師――このクラスの担任である通称根府川先生である。

担当教科は数学であるらしく、方程式が黒板には並んでいるが、根府川先生が話している内容は数学とは全く関係が無い。

「……このように人類は、その最大の試練を迎えたのであります。二十世紀最後の年、大質量を持つ隕石が南極へと落下し……」

黒板には方程式に混じって○で囲まれた『セカンドインパクト』の文字。

この教師は経験豊富であり、教え方も上手く生徒の相談などにも乗ってくれる人気のある先生なのだが、すぐに話が脱線しこの『セカンドインパクト』講義が始まってしまうのが難点であった。

初めのころは興味深く聞いていた生徒たちも、毎回のように繰り返されればさすがに飽きてくるもの。

今やまじめに話を聞く者はおらず、生徒たちは貸与されたPCを使ってメールやチャットのやり取りを行っている。

声に出す必要がなく、教室が静かなままなのが根府川先生が気付かない理由の一つかもしれないが。

シンジ、ユーフォリア、そして先週から学校に復帰したレイの三人も教師の話を聞き流してチャットに興じていた。



シンジ:今日の晩御飯どうする?

ユーフィ:ハンバーグ!

レイ:にくきらい

ユーフィ:シンくんのハンバーグ美味しいよ?

シンジ:レイのは豆腐で作ってあげる。でも、肉にも挑戦してみない?

レイ:わかった



内容は他の生徒たちに比べるとずいぶん所帯じみていたが。

ちなみに高嶺邸の料理長はシンジである。本来なら家事全般はメイドである白石カオリの役目であるのだが、シンジにとって料理は趣味であり、半ば強引に台所を自身の領地としたのである。


レイはユーフォリアの魔法によって傷自体は治っていたが、精密検査とゲンドウへのカムフラージュのため、先々週まで入院していた。

その間の診察や身の回りの世話はシンジとユーフォリア、二人の家族として紹介されたアセリアとユウト、カオリ、そして、シンジたちへの協力を決意したリツコが行っていた。

リツコは当初、自分がレイに行ってきた仕打ちを思い、大きな罪悪感を感じていた。しかし、真剣に謝罪し親身になって世話を焼くリツコをレイが再び「お姉ちゃん」と呼んでからは、彼女も自然に接することができるようになり、今では本当の姉妹のようにすら見えた。シンジたち四人からは「姉バカ」とすら言われる始末である。カオリはおっとりとした様子で「仲がいいですね〜」と微笑ましげに見つめていた。

二週間前に退院すると同時に「今、パイロットに倒れられるのはまずい」と、健康管理という理由をつけてレイをあの廃墟のようなマンションから自分の家に移し、家族として接しながら、人間としての常識を教えている。

ちなみにシンジたちの暮らす高嶺邸の近くであり、リツコも仕事で遅くなることが多いため夕飯はもっぱら高嶺邸で摂る赤木・綾波姉妹である。泊まっていくこともしばしば。

リツコもリツコでシンジの作る料理が食べられるとあって、なるべく定時で帰るべく仕事をがんばっていた。

ゲンドウと縁を切ることを決意し、すっきりとした表情を浮かべ、私生活にも仕事にも張りが生まれている。笑顔も以前よりも自然に多く見せるようになり、某後輩が「先輩、最近素敵ですぅ」とささやいたとか何とか。

レイは六人との絆を得て、少しずつ感情を表現できるようになるとともに、外界への興味を見せはじめた。

目下最大の関心は食事であり、一番好きなのはシンジが作るオムレツ。次いで甘いもの全般である。

また、先週、学校に復帰した時は、いきなりシンジやユーフォリアと親しげな様子を見せ、皆を驚かせた。しかし、以前と違い美しくはあるが人形のような様子だけでなく、かすかながら笑顔の表情を見せるようになったことで、以前にもまして人気が出ている。また、ヒカリをはじめとした数人の友人もできた。ヒカリとはすでに名前で呼び合う仲である。

ゲンドウとは会っていない。リツコがシャットアウトしているのだ。いろいろと聞いては来るが、全て「問題ありません」で返している。

ある意味、ゲンドウには最大の嫌味である。


そんなこんなで、先の使徒戦から3週間、彼らは充実した時間をすごしていた。


と、チャットに興じていたシンジのPCの画面に新たなメッセージが表示された。



:碇君があのロボットのパイロットってホント?  Y/N



(ああ、そう言えばそろそろだっけ)

そのメッセージを見ながらシンジは苦笑する。

前史ではトウジに殴られたきっかけともいえる質問だが、逆に言えばトウジやケンスケと親しくなったきっかけでもあった。

(さて、どう答えるかな……)

どうやらこのメッセージはクラス全員に公開されているらしく、他の生徒たちもシンジがどう答えるか気にしている様子である。

ちら、とユーフォリア、レイと視線を交わらせる。

ユーフォリアは楽しげな表情でシンジがどう答えるか待っている。一方のレイはきょとんとした表情で状況を解っていないらしい。



:ホントなんでしょ?  Y/N



ユーフォリアたちと視線を交じらわせている間にも、画面に回答を急かすメッセージが浮かぶ。

(ふぅ……ま、いいか)

と、思いながらもシンジは返事をしない。

一向に返事をしないシンジに教室内は焦れた雰囲気になり始める。



:ねぇ、答えてよ

:答えないってことはそうなんだろ?

:なあ、教えてくれよ



最初の一人からだけでなく、今やクラス中から返事を求めるメッセージが送られてくる。

それを見たシンジは苦笑しつつ。



シンジ:もう少し待って



と打ち込む。

クラスメートたちの頭にクエスチョンマークが浮かぶ。

答えがNOならばそういえばいいのだし、答えがYESであっても、もし隠さなければならないのならNOと即答するほうが怪しまれずにすむ。

回答しない意味が分からない。

メッセージを見た生徒たちが首をひねっていると、

「……君たちが今こうして……っと、ああ、もうそろそろ時間ですね。今日はここまでにします」

と、延々とセカンドインパクトにまつわる自身の思い出を語っていたが全く無視されていた根府川先生が思い出したようにそう言った。

と同時に授業の終わりを告げるチャイムが鳴る。

「き、起立、礼」

ヒカリも、授業中にチャットなんて、と葛藤しながらもシンジの答えを気にしていたらしく、一瞬の間をおいて号令がかかる。

根府川先生が出て行くと同時、シンジの周りにクラスメイトたちが集結する。

「おい、碇、答えてくれよ」

「そうよ、クラスメイトじゃない。私たちにだって知る権利があると思うわ」

「なあ、碇ぃ」

「碇くん」

幾重にもシンジの机を取り巻いて口々に答えを求める。

そんなクラスメイトたちの様子を見ながら、シンジは改めて苦笑を浮かべると、手を上げて周りの声を制する。

「だって、さっきは授業中だったんだ。もし答えたら、そんなの気にせずに集まってただろ? みんなさ」

いくら根府川先生だって、そうなったら怒るよ、とシンジは朗らかに続けた。

「……ってことは、やっぱり」

「答えはYES。僕がアレのパイロットだよ」


「「「「ええ〜〜〜〜〜〜!?」」」」


驚愕の声が上がる教室。

半ば予想していたとはいえ、本人の口から答えを聞き興奮が一気に高まる。

「どうやって選ばれたの?」

「怖くなかった?」

「必殺技とかあるの?」

口々に質問してくるクラスメートたちに苦笑しながら、

「そういうのは機密。教えられないの」

と答える。

不満の声も上がるが、

「下手に騒ぐと黒服の怖いおじさんに連れて行かれちゃうよ?」

との言葉に皆一斉に口をつぐんだ。

彼らとてその親(あるいは保護者)はNERVの関係者である。そこから、色々な噂は耳にしている。

NERVにはビア樽牛女、ロリコン髭眼鏡と呼ばれる妖怪がいるらしい、などという荒唐無稽な話(一部真実が交じっているのだが、信じられてはいない)から、NERV司令部は予算を着服して私腹を肥やしている、などというありがちな黒い噂も。

そして、その中でもかなり多くの人間が信じている噂がある。

曰く、NERVは機密主義は異常であり、少しでも機密に触れたものは消されてしまう。

「NERVは皆が思っている以上に怖いトコロだよ。あんまりうかつなことはしない方がいい」

ゆっくりと周りを見回すシンジ。

そして、ある一点にぴたり、と視点を固定する。

「この間から、時々僕のことを撮ろうとしているよね?」

と、視線の先にいる眼鏡をかけた男子生徒――相田ケンスケに話しかける。

「な、なんだよ?」

そのシンジの視線に一瞬気圧されながらも、言葉を発するケンスケ。

「撮るのはかまわないけど、了解を取ってもらえないかな? 勝手にそんなことしてるとスパイに間違えられるよ?」

「そ、そんなわけ無いだろ?」

「そう思うのなら、それでもいい。でも、僕は責任取れないよ?」

ケンスケは半信半疑、と言った様子だったが、シンジの真剣な目を見て、不満げながら小さく「わかったよ」と呟いた。

「うん、気をつけてくれればいいんだ」

とシンジが微笑む。


「転校生」


と、そこでシンジに声をかけた者がいた。

ジャージを着た男子生徒――鈴原トウジだ。

(あれ? 妹さんには怪我させてないはずだけど……)

とシンジは少しだけ訝しく思いながらも、トウジを見返す。

「なに?」

「お前、ホンマにあのロボットのパイロットなんか?」

「まあね」

「そうか……」

低い声で答えながらトウジはわずかにうつむく。

その雰囲気に周りで見ていたクラスメイトたちもわずかにひるむ。

トウジは不良というわけではないが、直情的でキレやすい、というのがクラス内での評価だ。

ケンカも「中学生にしては」という但し書きがつくが、クラスでは一番強い。

そのトウジが転校生でしかもあのロボットのパイロットにどんな反応を示すのか、皆想像がついた。

(((『ワシが絞めたる!』とか言い出すんじゃないだろうな?)))

と、トウジは顔を上げると、カッと目を見開き、







いきなり土下座した。







「「「「は?」」」」

「転校生! ありがとう! ワシはお前に礼を言わないかん!」

いきなりの予想外な展開に目が点となるクラスメイトたち。

そんな中、シンジは落ち着いて、

「とりあえず立ってよ。事情も分からないのにいきなり土下座じゃ驚くし。どういうことか説明してくれる?」

とトウジに手を差し出す。

「あ、ああ」

トウジもその手を掴んで立ち上がると、シンジに事情を話し始めた。

「あのバケモンが攻めてきた日、避難する途中で妹とはぐれてしもうてな。ワシも探したんやが、見つからんかった。そしたら、妹のヤツ、シェルターに入りそびれてたらしくて……」

顔を上げ、シンジを見つめながら、

「お前が、あのバケモンを上手く街の外に出してくれたから、妹は助かったんや。ホンマにありがとう!」

そう言って再び頭を下げる。

「……僕は街に被害を出したくなかっただけだよ」

シンジは苦笑してそう言うが、

「いや、それでも助けてくれたんも事実や……お前が居れば、あのバケモンも楽勝やな! 安心したで!」

そう言ってトウジは破願した。

周りも、トウジがシンジに突っかかるわけではないと分かり、ほっとした雰囲気が流れる。

が、シンジは表情を厳しくしていた。

「違う」

ぽつりと、シンジが呟いた。

「あん?」

トウジが不思議そうな顔をすると、シンジはトウジの肩を掴み、真剣な表情で彼に詰め寄る。

「違う。君の妹さんが助かったのは、純粋な幸運だ。あいつらはこれからもやって来る。これからもあんなふうに被害を出さずに戦い続けるなんてことは、絶対に不可能だ」

「な、なんや、いきなり……」

「僕だって、できる限り助けたい。でも、戦ってる最中にそんな余裕は無いと思う。もし、負けそうになったら、僕は逃げ遅れた人を犠牲にしてでも戦わなくちゃいけないんだ」

(そう、サードインパクトを起こすわけには行かない!)

NERVの地下に安置されているのはリリスである。しかし、このリリスは魂を抜かれた抜け殻でもある。欠片とはいえ、アダムの一部である使徒が接触すれば、その力はたやすくアダムに流れ込むだろう。そして、力を取り戻したアダムはこの世界をマナとエーテルに還元するだろう。

そしてそれは、あの紅い世界を生み出す結果となる。それは防がなければならない。

「あいつらを放っておけば世界が滅ぶ。詳しいことは言えないけど、それは事実なんだ。それだけは防がなくちゃいけないんだ。たとえ、犠牲を出したとしても」

「転校生……」

シンジの気迫にトウジやケンスケをはじめ、クラスメイトたちが息を呑む。

「だから、絶対、戦場に出てくるな。僕は、この世界を護りたい。でも、それ以上にこの世界に住む人たちを護りたいんだ。だけど、僕の力には限界がある。だから」

そこでいったん言葉を切り、クラスメイトたちの顔を見回す。

本当ならこの街から離れて欲しい。でも、彼らの親はNERVの職員であり、彼らはチルドレンの候補生だ。恐らくNERVは離さないだろう。

だから、少しでも彼らの生存率を上げるために、シンジは言葉を発した。

「戦闘が始まったら、絶対シェルターから出ちゃダメだ」

言ってから、心の中でシンジは少しだけ自嘲する。

(お粗末だな……でも、皆を守るためには、これぐらいしか思いつかない……)

トウジの顔を見つめて口を開く。

「今度は、絶対、妹さんの手を離すな。僕を当にするな。君の大事な人は、君が護るんだ」

言葉を一言ずつ強調するように発しながら真剣な目でトウジの目を見据える。

トウジは一瞬気圧されたようだったが、一度目をつぶると、シンジの目を見つめ返した。

「ああ、分かった。今度は絶対手ぇ離さん」

真剣な目のままそう告げる。

「すまんな、転校生。ワシらにはこんなことしかでけへんけど……お前の戦いの邪魔になるようなことは絶対せぇへん」

そう言うと、周りを見回す。

「お前らもええな!? 転校生の邪魔するヤツはワイがぶん殴ってでも止めるさかい、そのつもりでおれよ!」

シンジたちの真剣な様子を見ていたクラスメイトたちも、真剣な様子でうなずく。

「ありがとう」

そんな様子を見て、シンジは微笑んで告げた。


PRRRRRRRRRR!


と、いきなり携帯の着信音が鳴る。

「もうこんな時に誰? それに携帯電話を持ってくるのは校則違反よ!」

とヒカリが怒った声を出すが、反応したのは二人。

「碇君とレイさん……?」

意外そうなヒカリを尻目に、シンジとレイは真剣な目で携帯のディスプレイを見つめる。

「シンジ君、非常招集」

「うん」

そして顔を上げて頷きあうと、駆け出す。

レイはそのまま教室を走り出て行ったが、シンジはドアのところで振り返ると、

「また敵が来た。さっき言ったこと忘れないで」

そして、ユーフォリアのほうにちらりと顔を向けると、目配せをし合ってから、レイの後を追って走り去った。

教室に残されたクラスメイトたちは呆然としていたが、

「皆聞いたでしょ? もう直ぐ避難命令が出るわ。シン君の邪魔しないように急いで避難しましょう」

そうユーフォリアが告げると、我を取り戻す。同時に避難警報が鳴り響いた。

「ああ」

「そうだな」

「碇君に迷惑かけられないもんね」

口々に同意すると、

「皆並んで! シェルターに行くわよ!」

ヒカリがそうまとめると、皆避難をはじめた。

「転校生……死ぬんやないで」

シンジの出て行ったドアを見ながらトウジはぽつりと呟くと、

「みな、急いで避難するで!」

そう叫びながら、自身もシェルターへと走っていった。




○○○




NERV本部第一発令所。

『目標を光学で捕捉。メインスクリーンに回します』

そのスクリーンに映るのは、何を象っているのかさえ分からない異形の影。

古生代にまで遡れば似た生物がいるかもしれない。

三角形の頭部と円柱状の胴体。首にあたる部分がくびれているため昆虫のようにも見える。

胸にあたる部分には暗赤色の球体――コアとそれを護るように節足とも触手とも言えるものがうごめいている。

第四使徒シャムシエル。昼を司る天使である。

もっとも、発令所の中にその名を知るものはほとんどいなかったが。

「総員、第一種戦闘配備!」

そう声を上げるのは発令所最上段に立つ冬月。

そばに座っているはずのゲンドウの姿は無い。

『了解。総員第一種戦闘配備』

『第三新東京市、戦闘形態へ移行』

様々なアナウンスが流れる中、発令所の上段には三人のオペレーターと技術部、作戦部それぞれの責任者であるリツコとミサト、現在搭乗する機体の無いファーストチルドレンこと綾波レイ、そしてユウトとアセリアの姿があった。

ミサトは最初ユウトとアセリアがいることに怒涛のごとくに文句を言ったが、リツコの「シンジ君が初号機に乗ってくれるための条件よ」との説得と、ユウトの「まともな指揮なら口は出さない」という言葉に渋々ながら納得。現在はできる限り二人を無視し、スクリーンを見つめている。

ミサトの内心を説明すれば、

(私のパーペキな作戦指揮にド素人のガキ共が口を挟めるはずが無いわ!)

という感じである。

対するユウトは、

(ま、俺が言わなくてもシンジが何とかするだろ)

と楽観視している。が、あまりに酷い場合は殴ってでも止めよう、と密かに心に決めていた。



「司令の居ぬ間に第四の使徒襲来か」

ただスクリーンを見つめていたミサトが呟く。

「前回は15年のブランク。今度は3週間ですからね」

「こっちの都合はお構いなし、か……女性に嫌われるタイプね」

スクリーンの中では、シャムシェルに対し、国連軍による攻撃が行われていた。

雨あられと降り注ぐ砲弾の中、シャムシエルはA.T.フィールドすら張らずに悠然と空中を泳いでいく。

(ふむ……敵さんの外皮はかなり硬いみたいだな……砲弾やミサイルの直撃がまるで効いてない……A.T.フィールドも張ってないみたいだし……攻撃手段を考える必要があるな)

ミサトの言葉に返しながらも作戦部オペレーター日向は敵の分析を行う。また、下位の作戦部職員にもデータの抽出と作戦立案に必要な資料をまとめるよう指示を出す。

一方彼の上司であるはずのミサトは、ただ腕を組みじっとスクリーンの中を睨むだけだ。

しかし、その口元はわずかに上がり、薄く笑みを浮かべているのが分かる。

(ふん……無駄なことを……それは私の獲物よ!)

日向は自らの想い人である上司に目を向ける。

(何も指示くれないけど……いいんだろうか? またこの前みたいな行き当たりばったりな指示じゃ、シンジ君だって大変なのに……)

確かにその姿は凛として美しい。が、考えていることは当然読めない。

彼は先の戦闘のあとから疑問を持ち始めていた。

(葛城さんは本当に優秀なのか?)

日向は自分は秀才型、あるいは努力型とでも言おうか、教科書どおりの堅実な作戦立案を得意とする一方、常識の通用しない相手――例えば使徒のような――に対するのは苦手だと考えている。

対照的に上司であるミサトは天才型、直感やひらめきを重視し、常識外の敵にも柔軟に対応できると思っていた。

だからこそ、平時の事務仕事なども「俗事は凡人である僕がしよう」などと、彼女がいざという時に気持ちよく働けるように勤めてきたのである。

しかし、前回、彼女は指揮官らしいことを何もしていない。その後も自ら事務仕事をすることは無かった。

(まあ、上層部も馬鹿じゃないし、葛城さんだって、成果を出せなきゃどうなるかなんて分かってるはずだ。僕もできる限り手助けしよう。さて仕事仕事……)

と、彼は悩んだ末にあきらめずにミサトを助けることにしたらしい。

下位のオペレーターたちが出した分析結果をまとめて印刷するとミサトへと示す。

「葛城さん、これを」

「ん? な〜に?」

「敵の分析データです。作戦立案の助けになればと思って、勝手ながら調べさせました」

「お〜う♪ 優秀ね! アリガト」

にこやかに受け取ってぱらぱらとめくる。

その様子を見て日向は少し安堵する。

(よかった。やっぱり葛城さんだって馬鹿じゃない……今回は資料もあるし、上手い作戦を立ててくれるだろう)

そう思っていると、

「税金の無駄遣いだな……」

ポツリ、自分たちの上段――司令席のある最上段から冬月の声が聞こえてきた。

その発言内容に、普段は温厚な日向もさすがにムッとする。

彼をはじめ、作戦部の人間のほとんどは元々は軍人である。

NERVの創設に伴い、こちらに籍を移しているものの、スクリーンの向こうで戦っているのは、たとえ面識はなくとも、大切な人を護るため同じ「戦う」という道を選んだ、いわば同志である。

確かに、彼らの攻撃は使徒に対し、なんら効果を上げているようには見えない。

しかし、彼らも自身の持てる装備で必死に戦っているのである。

そこにある想いは自分たちと何も変わらない。

そして何より、あそこが戦場である以上、戦い散っている命があるはずなのだ。

それを「税金の無駄遣い」などと評するとは!

さすがに一言文句を言おうか、と日向が口を開こうとした瞬間であった。



「戦っている者たちを馬鹿にするな」



静かな声が発令所に響いた。

喧騒に満ちているはずの発令所にあって、静かなはずのその声は発令所にいるもの全員の耳に届いた。

声を発したのは上段に立つ蒼い髪の少女――アセリアだ。

「……私に言っているのかね?」

最上段に立つ冬月は憮然とした様子で聞き返す。

「お前以外にいない」

淡々とした様子で続けるアセリア。

「『お前』というのは少々無礼ではないかね?」

対する老人はアセリアの意図とは関係の無い、形式的な礼儀を問う。

その様子に日向をはじめ、発令所のメンバーも眉をひそめる。

気がついていないのはミサトだけだ。

「敬意を払って欲しいんなら、それなりの態度を示せ」

呆れたため息と共にそう告げるのはユウトだ。

「……どういう意味かね?」

「聞かなきゃわからんのか? ……まあ、いい。いいか、実際に戦場で戦っている者に対して、ただ見ているだけの人間がえらそうな口をきくな」

そしてユウトは、今戦っている者たちがやっていることは無駄ではなく、自分たちに準備するための情報と時間を与えてくれていることなどを述べる。

「なにより、あの場では多くの命が消えている! それを言うに事欠いて『税金の無駄』!? ふざけてんじゃねぇぞ!!」

最後は語気を荒げて冬月を一喝する。

発令所の誰もがユウトの気迫に呑まれている。そして、その言に理があることを感じて冬月を白い眼で見ていた。

冬月もゲンドウの女房役を自任するわりに、いつも髭の後ろで電柱になって相槌を打つだけなので、正面から向かってこられるととたんに判断が鈍る。

ゲンドウにしろ冬月にしろ元々が陰謀家なのである。面と向かって放たれる正論に太刀打ちできるはずも無かった。


奇妙な沈黙が発令所を支配していると、電子音と共に司令部オペレーター青葉の端末にメッセージが届く。

「い、委員会からエヴァンゲリオン出動要請が出ています」

それを皮切りに、自らの職務を思い出し、再び発令所が動き出す。

「う、うるさいやつらね、言われなくったって出すわよ!」

ユウトの気迫に呑まれていたことが悔しいのか、必要以上に大声で発進準備を命じるミサト。

ユウトとアセリアはしばらく冬月を睨んでいたが、やがて興味を失ったように視線をはずすと、サブスクリーンに映る初号機に眼を向けた。

(がんばれよ、シンジ)

(……負けるな)

二人のシンジを思う気持ちは同じだった。