第九話
NERV本部内第二実験場。
照明の落とされたそこには巨大な人型のオブジェが鎮座していた。
エヴァンゲリオン零号機である。
数週間前に行われた、エヴァンゲリオンの試作機である零号機の起動実験。
途中までは順調に進んだものの、起動直前で零号機は暴走、実験は中断となった。
零号機は硬化ベークライトで腰の辺りまでを固められ、プラグの挿入口には白く大きな十字の停止プラグが挿入されている。
現在そこではベークライトの撤去作業が行われていた。
「綾波レイ、14歳。マルドゥックの報告書によって選ばれた最初の被験者。エヴァンゲリオン試作零号機の専属操縦者」
暗闇にリツコの静かな声が落ちる。
「過去の経歴は白紙。全て抹消済み、か」
その声は撤去を行う重機の音にまぎれてしまっていたが、隣に居たミサトの許にはしっかりと届いたようだった。
「で、暴走の原因は分かったの?」
「……いいえ、まだよ。でも、推定では操縦者の精神的不安定が第一原因と考えられるわ」
あいまいに答えながらも、リツコは原因を断定していた。
(原因? そんなの決まってるわ。あの人がレイの心を乱すようなこと――『お前は人ではない』とか『この実験に失敗したらお前は役に立たない』とか言ったに違いないわ)
さらに言えば、リツコは零号機に暴走を促す細工をするように「あの人」から命令を受けていた。
結果的には「あの人」の策が当たったのだろう。
精神的不安定に陥ったレイは零号機を暴走させ、そのことで唯一自分を受け入れてくれる「あの人」に捨てられる、と絶望し、
絶望したところで体を張って自分を助けた「あの人」にますます傾倒するようになった。
「あの人」――碇ゲンドウに。
全てはあの男の掌の上で動いていたのだ。
今にして思えば、何故あんな男に従ったのだろうか?
(ロジックじゃなかったのよね、きっと)
などと思考しながら、
(あの男と決別して本当に良かったわ)
と、現在の状況に満足している自分に気付く。
(ふふ、レイもまた「お姉ちゃん」って呼んでくれる様になったし、使徒やエヴァに関しても信じられないような事実も教えてもらった……本当にシンジ君には感謝しても感謝しきれないわ)
と、
「リツコってば!」
「きゃあ!」
突然の大声に悲鳴を上げる。
見ればミサトが半眼になって自分を見ていた。
「何よ、びっくりさせないで」
「話しかけてんのに、無視したのはそっちでしょ〜?」
どうやら、思考に沈んでいる間にミサトに話しかけられていたらしい。
「そう、悪かったわね」
そっけなく答えながら、手元の資料に目を落とす。
「で、何なの?」
「だから〜、あのレイが精神的に不安定なんてありえるの?」
「っ! レイも人間だもの、不安や恐怖を感じることだってあるでしょう」
一瞬、レイを馬鹿にされたように感じて怒鳴りかけるがかろうじてこらえる。
「人間ねぇ……あの子見てるとまるで人形みたいに見える時があるのよねぇ」
「それは! ……あの子は自分の感情を出すのが苦手なだけなのよ」
「人形」という言葉に過剰に反応しかける。
確かにシンジと出会う前のレイはゲンドウの人形だった。
そして彼女を人形にする手助けをしていたのは自分なのだ。
だからこそ、心を取り戻したレイを人形などと呼ぶことはリツコには断じて許せなかった。
「ま、そのほうが指示に従ってくれそうだからいいけどね〜」
「…………」
怒鳴りそうになるのを必死でこらえる。
ミサトは知っているのだ。
知っていて、自身の復讐の道具にしようとしているのだ。
レイが「命令」という言葉に逆らえないことを。
(いいえ、違うわ)
自らの思考をリツコは否定する。
「逆らえない」ではない。「逆らえなかった」なのだ。
ミサトは知らない。
すでにレイが人形ではないことを。
もはや「命令」によっても縛ることはできないのだ。
「今度の実験は成功するんでしょうね?」
能天気なミサトの声に対して怒りを抑えながらも、答えたリツコの声は自信に溢れていた。
「ええ。間違いなく成功するわ」
○○○
閑静な住宅街の中にある大きな――というよりもむしろ巨大な屋敷の庭に三人の人影があった。
時刻は四時半。そろそろ夕方になろうかという時間だが、セカンドインパクトの影響により、常夏となった日本の太陽はまだまだ昼間と変わらぬ熱と光を発していた。
人影はこの屋敷――高嶺邸の住人である碇シンジとユーフォリア・E・高嶺、そして招かれてやってきた綾波レイの三人だ。
シンジは銀色の鞘に入った『福音』を腰に吊るしており、ユーフォリアも手に『悠久』を持っている。
「そう、いい感じだよ、そのまま集中して……」
と語りかけるシンジの視線の先には、目を閉じてなにやら集中している様子のレイ。
肩幅に足を開いたリラックスした姿勢で、両手を前方に突き出している。
その手の間には青白い光が輝いている。
シンジには集まる“青”のエーテルとマナがしっかりと感じられていた。
「そして、それを……」
そこでいったん言葉を切り、
「発射する!」
「はっ!」
シンジの怒声に押されるように気合を発したレイの手から青い光が矢となって放たれる。
それは前方に生えた木に当たると強烈な冷気となって幹を凍りつかせた。
「うん、いいね。もう少しすばやく“溜め”られるようになれば、実戦でも十分使えると思うよ」
そう言って微笑むシンジに、レイも笑みを返す。
何をしているのかと言えば、レイのエーテルやマナを使うための特訓である。
シンジたちの正体と目的を聞き、自身も彼らに協力して戦うことを決意したレイは「神剣の力」を使うための訓練を始めたのであった。
言い出したのはユウトである。
レイは上位神剣であるリリスの一部。ならば、神剣の能力である「マナを操る力」が使えるはずだと予想したのだ。
その予想は見事に的中し、わずか数日のうちに身体能力の強化はもちろん、単純な神剣魔法さえ使えるようになりつつあった
レイにとっては自らが「人ではない」ことを認めることではあったが、もはやそれはレイにとっては些細な問題である。
たとえ自分が“人”でも“使徒”でも、あるいは“神剣”であっても「綾波レイ」そのものを認めてくれる仲間ができたのだから。
「すごいねレイちゃんは。“青”が一番得意みたいだけど、他の色も訓練すれば十分使いこなせるよ」
ユーフォリアの声にも感嘆が混じる。
マナ、あるいはエーテルには“色”がある。“青”“緑”“赤”“黒”“白”の五色だ。“無色”をあわせれば6色と言ってもいいかもしれない。
また、神剣もこの“色”による属性が存在する。
と言うよりも、空間に存在する無色のマナを色のついたマナやエーテルに変換し、操る力が神剣にはあるのだ。
基本的に一つの神剣は一つの色を持ち、その色のマナを操ることを得意とする。しかし、同時に他の色のマナを扱うことはとても難しく、よほど力の強い、あるいは特殊な神剣でなければ他の色を操ることはできない。
そして、レイ――リリスはこの特殊な神剣であったらしい。
基本的な属性は“青”であり、水や冷気を扱う事を得意としているが、他の色のマナも扱うことができるのだ。
それぞれに特色のある五色のマナを全て扱える、ということはそのまま戦闘において取り得る手段が多い、ということになる。
一歩間違えば器用貧乏となるが、同時に常に相手が苦手とする戦法を取ることができるということでもある。
レイの場合、いかんせんまだまだ技術も知識も経験も足りないものの、それは十分以上に武器となりえることだった。
ちなみにユーフォリアの持つ『悠久』も“特殊な神剣”にあたり、『悠久』自身の属性は青だが、青の属性を持つアセリアと白の属性を持つユウトの間に生まれたためか、青と白のマナを扱うことができる。
「そろそろ、休憩しよっか?」
学校から帰って来てから二時間ほど続けて訓練をしていたこともあり、ユーフォリアがそう声をかけるが、
「いい。もう少し練習したい」
そう答えるレイはすでに集中し、掌の間にマナを集め始めている。
それを見たシンジはユーフォリアと視線を合わせて苦笑すると、
「分かった。でも無理はしないでね」
と言った。
「うん」
答えるレイに微笑むと、
「僕はそろそろ晩御飯の準備をしないとね」
ユーフォリアに、あとはよろしく、と頼みながらシンジは屋敷の中へと入っていく。
それを見送ったレイは結局、夕食の時間にシンジが呼びに来るまで練習を行い、ユーフォリアと高校から帰って来たユウトとアセリアも最後までそれに付き合ったのだった。
○○○
時間は過ぎて夕食後。
高嶺邸の食堂には食後のお茶を楽しみながら雑談に興じる高嶺一家とメイドのカオリに加え、夕食前まで訓練を重ねたレイと仕事を何とか定時に終わらせたリツコの姿があった。
ちなみにこの二人、高嶺邸で夕食を摂るのがデフォルトになりつつある。
「あ、そうそう忘れるところだったわ」
そう言ってリツコが取り出すのは一枚のカード。
「レイ、あなたの更新カードよ」
「ありがとう、お姉ちゃん」
微笑んで受け取るレイを慈愛にあふれた表情で見つめるリツコ。
それはもう、とろけんばかりに幸せそうな顔である。
「……姉バカだな」
「……姉バカですね」
「……姉バカだね」
「……姉バカ?」
順にユウト、シンジ、ユーフォリア、アセリアである。
「あらあら、仲が良くていいじゃないですか〜」
カオリもくすくすと笑う。
「んん! で、レイの訓練はどうなの?」
「順調だよ、すごくな」
ごまかすように咳払いしてから尋ねるリツコに答えるのは笑いをかみ殺したユウト。
しかし、その声には誇らしげな様子が混じる。
さながら弟子の成長を誇る師匠のように。
実際、レイはこの場に居る神剣使い全員の弟子であり、その期待以上に成長しているのだった。
「そう、がんばっているのねレイ」
リツコの声に少しだけ頬を染めてコクリと頷く。
その姿からは数週間前までの人形のような様子は想像すらできない。
「リツコさんのほうはどうです?」
お仕事大変でしょう、と続けるシンジに、
「ええ、まあね」
苦笑して頷きながら、
「もっとも、ユイさんのサルベージの準備が一番大変なんだけど?」
と少しだけ意地の悪い表情を浮かべながらシンジを見つめる。
もっとも、やりがいはあるわね、と続けるリツコに
「ああ、それはすいません」
とシンジも苦笑して答えた。
「ところで、相談があるのだけど……」
ひとしきり笑いあった後、少しだけ声を落としてリツコが言う。
「はい?」
「マヤを、こちらに引き込めないかしら?」
「マヤさんを?」
「マヤって言うとあのオペレーターの女の子か?」
と確認を取るのはユウト。
リツコはそれに、ええ、と答えながら
「どうしても、私一人でやるのは限界があるわ。あの子が居てくれればかなり助かるんだけど」
「そうだな……」
ユウトは考えながらシンジに問うように視線を投げる。
「マヤさんは信用できると思いますよ」
ユウトの視線での問いに答えるシンジ。
「基本的に、NERVで信用できないのは六分儀ゲンドウ、冬月コウゾウ、葛城ミサトだけです」
「あとはその司令部の直属である保安部と諜報部ね」
シンジの答えを補強するようにリツコが続ける。
「作戦部は?」
と言うユーフォリアの問いには
「ミサトは……反省してないようだけど、日向君ががんばってくれているのよね」
トップ以外は信用できると思うわ、と続ける。
「で、マヤについてはどうかしら?」
「僕はいいと思いますよ」
シンジが頷き、
「私は、仲間は多いほうがいいな」
とユーフォリアが答える。
「そうだな……アセリアは?」
「……ん」
確認を取るユウトにアセリアも頷く。
「良かったわ。じゃあ、今度折を見てここにつれてくるわね」
「分かりました」
微笑むリツコにシンジが答えた。
「さて、そろそろ時間も時間だしな。どうする、帰るか? 泊ってくか?」
時計を見たユウトが立ち上がってそう訊くと、レイとリツコの姉妹は顔を見合わせて、
「泊らせていただくわ」
「……ん」
と答えた。
レイの顔は傍目には無表情に映っただろうが、ここにいる全員はそれが微笑だと理解していた。
その二日後にはマヤをつれたリツコが高嶺邸を訪れ、真実を知ったマヤはシンジたちへの協力を確約する事となる。
その時、間近で見たレイの笑顔に撃墜された彼女はシンジたちから「姉バカ二号」の称号を賜ることとなったとさ。
○○○
NERV本部の実験場へとつながる通路を歩くレイとシンジ、そしてユーフォリアの姿があった。
シンジとユーフォリアは制服姿だが、レイは白いプラグスーツ姿である。
実験場の手前の気密扉の前で立ち止まると、
「ここでいいわ」
とレイは二人を振り返った。
「しっかりね」
「がんばってね」
激励の言葉をかけるシンジとユーフォリアに笑顔を返し、レイは実験場へと入っていった。
「これより零号機再起動実験を行う」
シンジたち二人が実験の管制を行う実験場に付設された管制室に入るとほぼ同時にゲンドウの低い声が響いた。
「レイ、準備は良いか?」
「はい」
ゲンドウが優しげな表情と声音でレイに問いかけるが、レイの表情は硬い。
だが、少女が今や人形ではないと気付かない愚かな男はそれに疑問を抱かない。
「実験開始。第一次接続開始」
ゲンドウの号令に従い、管制室が動き出す。
「主電源コンタクト」
「稼動電圧クリア」
「了解、フォーマットをフェイズ2へと移行」
「パイロット、零号機と接続開始」
リツコが指示を出し、マヤが報告を上げる。
ゲンドウは開始の号令をかけたあとはただ零号機を見るだけ。
その後ろの冬月もいつもどおり電柱だ。
あとはほとんどが技術部の人間だが、何故かげっそりした様子のミサトも所在無さげに後方に突っ立っている。
恐らく、日向にさせられていた書類仕事から、視察を名目に逃げ出してきたのだろう。
シンジとユーフォリアは様々な報告と指示が飛び交う中をユウトの居る後方の壁際へと移動した。
アセリアの姿はない。
「レイの様子はどうだった?」
「落ち着いてましたから、大丈夫だと思います」
ユウトの問いかけにシンジは微笑んで返す。
「そうか」
そこでユウトは窓の外の零号機をじっと見つめるゲンドウを見やると、
「しかし、何であいつがわざわざ指揮を執ってんだ? これは技術部の管轄だろ?」
「まぁ、前回失敗してますし、発破かけようってことなんでしょうけど」
と、シンジはそこで元々小声だった声の音量をさらに落として口をユウトの耳に近付け、
「レイに、自分がレイを気にかけてるってトコを見せときたいんでしょう」
「なるほどね……」
ユウトは呆れたように呟いた。
「よくやるよ」
「まったく」
「全神経接続終了」
「中枢神経素子、異常無し」
「1〜2590までのチェックリストクリア」
実験は順調に続く。
「絶対境界線まであと0.5……0.4……0.3……0.2……0.1……突破!」
「ボーダーラインクリア、零号機起動しました」
「シンクロ率は?」
「現在、再計算中……出ました。シンクロ率32.4%」
マヤの報告に管制室全体がどよめく。
「いきなり30%オーバーかね?」
冬月が感嘆した声を出す。
「「すごいわレイ」」
マヤとリツコがシンクロしてレイをほめれば、
『……ありがとうございます』
シンジやリツコたちには分かる程度にレイは微笑む。
ゲンドウはレイがお礼を言ったことに若干驚いたようだったが、元々この男はレイの人格など認めていない。
さして気にする必要もないと判断して次の指示を出す。
「引き続き連動実験に移れ」
「了解」
その指示に再び管制室が動き出した時だった。
PRRRRRRRRRRRRRRRRRRRR!
甲高い電子音が鳴り響く。
「来た!」
「一応、偵察するようには言うが……」
「たぶん無理です。僕が出ますよ」
それと同時に管制室の後方でシンジたちが声を潜めて密談を交わすが、
「本当に大丈夫?」
「大丈夫だよ、それに僕が出ないとレイが出される可能性がある」
「気をつけてね」
気付く者は居なかった。
「もしもし……何!? ………わかった」
冬月が受話器をとり、数秒で通話を終えると、
「六分儀! 未確認飛行物体が接近中だ。恐らく第五の使徒だな」
「実験中断。総員第一種戦闘配備」
間髪入れずにゲンドウが指示を出す。
「零号機はこのまま使わんのか?」
「まだ戦闘には耐えん。初号機は?」
「380秒で準備できますが……」
リツコが答えると、
「出撃だ」
これに反応したのはさっきまでただ突っ立っていたミサトだ。
「待ってました!」
途端に元気を取り戻し、
「さぁ、サード! 出撃よ! さっさと行きなさい!」
と居丈高に命令する。
シンジはそれに、はぁ、とため息をついて無視。
ゲンドウに近づいて、
「おい髭」
と声をかける。
「…………」
対するゲンドウは無言で見下ろすように威圧するのだが、
「敵の情報が何も分かってないのに出撃だ? あんたは馬鹿か? まずは情報収集と分析が先だろ!」
シンジはこれっぽっちもこたえていない。
「……出撃だ」
その答えに再びため息をついて馬鹿かと呟く。
「シンジ君、たとえ父親だと言ってもその言い草は……」
などと、なれなれしくも冬月が言ってくるが、
「この男は僕の親ではありませんよ副司令」
とシンジに睨まれると、それに気圧されて黙り込む。
「出撃するのはかまわないが、何の考えもなしに敵の前に放り出されるのは御免被る!」
「……もういい。レイ、出げ……」
と言いかけたところで、黙って聞いていたユウトが切れた。
「だあぁあ! さっきから聞いてればお前は馬鹿か! それともテープレコーダーか! 似たような台詞ばっか吐きやがって! 起動に成功したばっかりの機体をいきなり実戦投入なんかできるはず無いだろうが!」
あふれる怒気を隠しもせずに一気にまくし立てる。
その怒気に当てられたゲンドウはだらだらと汗をかきながら答えることができない。
完全にユウトの気迫に呑まれている。
「初号機はすぐに出撃できるようにして待機! それから初号機の準備に必要な人員以外はここに残ってこのまま連動実験を続ける! 使えるものの準備はしておくもんだ! 発令所で詳しい情報が入ってから作戦を立てる!」
管制室を見回しながらそう言い、最後にゲンドウに視線を止めて言い放つ。
「いいな!」
「……問題ない」
ゲンドウはいつもの台詞で返すのが精一杯だ。
「シンジ、行け」
「了解」
ユウトの指示には素直に従うシンジ。
言葉は無くともその視線には信頼と激励が含まれていることを知っている。
「気をつけてね」
「しっかりね」
「がんばってねシンジ君!」
『……がんばって』
ユーフォリア、リツコ、マヤ、そしてレイの激励にドアを出るところで振り返って微笑みで答えながらシンジはケイジへと走っていく。
「さあ、聞いてたでしょ! マヤ、私たちは発令所へ行くわよ」
「はい」
そう言ってマヤも立ち上がる。
「貴方たちはこのままここで連動実験を。もしかしたら零号機も必要になるかもしれないわ。できる限りの調整をして頂戴。人手が足りなかったら手の空いてる人員をかき集めて!」
矢継ぎ早に指示を出して走り出す。
管制室のメンバーもそれに従って動き出した。
と、
「司令! 副司令! 何時まで呆けているんですか!! やることは山のようにあるんですよ!? それにミサトもよ!! 発令所に急ぎなさい! 作戦を立てるのは貴方の仕事でしょう!!」
ユウトの気迫に呑まれたままの三人にリツコが大声を浴びせかけると、やっと我に返ったのか、あわててリツコを追うように走りだした。
○○○
発令所では日向と青葉のオペレーターが上がってくる情報をまとめていた。
「今度のはまた、ずいぶんと印象が違うな」
すでにスクリーンに映し出されている使徒は前回、前々回の、少なくとも生命体を模したと思われるフォルムとはかけ離れた姿をしている。
四角錐を底面同士くっつけたような形である。
底面と底面の間にはわずかにスリットが開いており、正確な正八面体とはいえない。
青く見えるのは空を映しているからなのか。
その異容はさながら一昔前のSF映画に登場する宇宙人の戦艦のようだ。
(格闘戦……ができる訳ないしな……宇宙船の攻撃方法と言えば……飛び道具が主体と見るべきか?)
などという事を日向が考えていると、扉の作動音と共にバタバタという足音がいくつか入ってくる。
「マヤ! 初号機の起動準備よろしく!」
「了解!」
一着のマヤがすばやくオペレーター席につき、二着のリツコが指示を飛ばす。
マヤの返事を確認すると、リツコが日向に尋ねる。
「状況はどうなっているの?」
「現在、目標はこちらへ向けて接近中。まもなく、こちらの光学センサーでも捉えることができます」
「UNは何をやってるの!?」
リツコが悲鳴のような声を上げる。
第五の使徒は遮るものもなく、悠然と侵攻を続けていた。
「無線を傍受したんですが、どうやらどうせ効果がないんだからNERVに任せろって……」
実はこれはSEELEからの圧力であった。
彼らにしてみれば依り代、つまりシンジには生きるか死ぬかのぎりぎりの戦いの中で心をすり減らしてもらわなければいけないのだ。
第三、第四使徒戦でのシンジの活躍は、彼らにとっては嬉しいものではなかったらしい。
しかし、NERVに対して「使徒に勝つな」などと言うわけにもいかない。
そこで、苦肉の策として国連軍の攻撃を中止させて情報を与えないように工作したのであった。
この場でそれに気付いているのはリツコたちの上の段でゼーハー言ってる二人だけであったが。
一方、それを愚かにも喜ぶものが一人。
「や〜っと国連の奴らもわかってきたのね〜♪ アタシの華麗な指揮じゃないと使徒は倒せないってこ・と・に」
リツコに続く形で発令所に到着したミサトである。
陽気ともいえる声音だが、その目を覗き込めば復讐の喜びに暗く澱んでいるのが分かるだろう。
もはやリツコも日向も無視しているが、気付いていないミサトはある意味幸せなのかもしれない。
「初号機の準備は?」
「現在起動シークエンス終了。発進位置にて待機。いつでも出せます」
リツコの問いにマヤが返す。
そして、それを聞いたミサトが叫ぶ。
「よし、すぐに発進よ!」
以前ならば、その言葉に従っただろう彼――日向はそれに異を唱えた。
「待ってください! 敵の攻撃手段も分からずに発進するなんて無茶が過ぎます!」
「その通りだ。さっき言ったこと全然分かってないだろお前」
と日向の声に応えるように言うのは何時の間にか発令所へとやってきたユウト。
ユーフォリアの姿が無いのは、実験場での連動実験に付き合っているのだろう。
「ガキがプロの仕事に口出すんじゃないわよ!」
ユウトの発言に食って掛かるミサトだが、
「まずは情報収集! 戦術の基本だろうが。やれることはいくらでもあるんだ、仕事しろ!」
「うっさい! 敵はすぐそこまで来てんのよ!? そんな暇は無いわ!」
にらみ合う二人。
だが、
「発進だ」
最上段から声が落ちる。
ゲンドウだ。
ユウトはじっとゲンドウを睨みつける。
無言での攻防。
ゲンドウは若干の汗をかきながら何とか睨み返す。
「し、しかし、彼の言うことはもっともです。まずは情報収集を、せめて敵の攻撃方法くらい……」
「出撃だ」
その攻防を何とかしようとするように日向が進言するがゲンドウは聞き入れない。
更に、
「彼は確かにここに居ることを許可されてはいるが、オブザーバーでしかない。彼は指揮官ではなく、この場の最高の権限を持つのは司令である六分儀だ。君はその命令に従う義務がある」
荒い息を抑えた冬月がそう言う。
穏やかな口調ではあるが、その内容は脅しに等しい。「逆らえばどうなるか分かってるんだろうな」という奴である。
「くっ……了解」
彼はユウトやリツコに助けを求めるように視線を向けるが、リツコは首を振り、ユウトは肩をすくめた。
「ほらほら、出撃よ!」
ミサトの能天気な声が妙に気に触る。
(……仕方ないか)
「シンジ君、一番目標から離れた場所に射出する。敵の情報は全く不明だ。これは勘だが、恐らく奴の攻撃方法は飛び道具……銃撃や砲撃に準じるものが主体だと思う。気をつけてくれ」
『了解。ありがとうございます、日向さん』
せめて、とシンジに声をかけるが、返された言葉に唇を噛む。
無力な自分が悔しい。
隣の上司を見れば、スクリーンの中の八面体を睨みながらも、口元は笑みの形にゆがんでいる。
もう一度、進言しようかと一瞬悩むが、この様子を見る限り無理のようだ。
「エヴァンゲリオン初号機、出撃!」
内心に憤りを抱えながら日向の声が発令所に響いた。