第十二話
京都市郊外に広大な敷地面積を誇る、一際立派な邸宅があった。
屋敷自体はいっそ質素とすら言ってもいいシンプルな造り。
しかし、家具や調度品はシンプルながら趣味の良いものでまとめられているし、邸内にある日本庭園もきちんと手入れが行き届いている。
無駄に華美な装飾よりも機能的な美しさを求める主人の気質を良く表している。
この屋敷こそ日本が世界に誇る一大企業グループ、碇財閥の総帥にして碇家当主の屋敷であった。
その屋敷の奥まった一室。小さいながらテレビや電話など一通りのものがそろっているその小さな畳敷きの部屋こそ、碇財閥総帥碇ゲンイチロウの私室であった。
そして、そこで日本茶をすする人物が碇ゲンイチロウその人である。
齢70を前にしてその髪はいまだ黒々とし、恰幅のいいその体は、しかし、脂肪にたるんでいるわけではなくがっしりとした印象を与える。
顔には生きてきた年月をうかがわせるしわがくっきりと刻まれているもののその眼光はいまだ鋭く、その一声は世界経済に多大な影響を与えると言われている。
お茶をすすりながら彼が見ているのは一通の招待状。
“JA完成披露記念会のご案内”などと書かれている。
日本重化学工業共同体という企業グループが開発した人型ロボットの完成披露と実演会を行うらしい。
碇財閥としては関わっていないのだが、財界のTOPに君臨する碇財閥に招待状を出すのはわからない話ではない。
あるいはこれを機に資金援助を乞うつもりでもあるのだろう。
しかし、ゲンイチロウは顔を出す気などはまったくなかった。
これはNERVの利権にあぶれた者たちの嫌がらせに過ぎない。本人たちにとっては大いなる抵抗のつもりなのだろうが、それも性質の悪い悪戯程度のものでしかない。
“JA”なるロボットの話も孫からは聞いていた。
だが、それがどれほどのものであっても使徒に抗する事などできるはずもない。
彼もまた真実を知っている。
碇財閥の当主ともなれば世界の裏側を知る機会も多い。
そして何より四年前に訪れた彼の孫。孫は彼に真実を語った。
NERVの思惑、SEELEの陰謀、セカンドインパクトの真相、使徒の正体、そして自分の経験した全てを。
すぐに信じることなどできないような内容だったが、彼の娘に良く似たその顔に浮かぶ決意の表情を見て、ゲンイチロウはそれが真実だと確信した。
そして、その苛酷な経験を経てなおそれに抵抗することを選んだその孫を彼は心から誇りに思い、全力で支援をすることに決めたのだ。
その孫の決意を思えば、この連中のなんと浅はかなことか……
「御前」
「なんじゃ?」
物思いにふけっていたゲンイチロウ翁に、ふすまの向こうから声がかかる。
「シンジ様よりお電話でございます」
「む、わかった。こちらによこせ」
「承知しました」
言葉と共に、室内においてあった電話機が発信音を立てる。
老人がそれを取り上げると、厳しい光を放っていた目に微笑を浮かべて話し始めた。
「シンジか?」
『おじいちゃん。ご無沙汰しています』
「うむ、よいよい。お前の活躍はわしの耳にも届いておる。お前のような孫を持って祖父として鼻が高い限りじゃ」
久しぶりに耳にする孫の声に、ゲンイチロウの機嫌は良い。
『止してよ。僕は自分にできることをやってるだけだよ』
「ははは。そうか……して、今日は何用じゃ?」
『あ、うん。ほら、六分儀ゲンドウの財産返還命令の期限ってもう過ぎたでしょ? ちゃんと返って来てるのかなって』
「ふむ。少し待て」
そう言って受話器を押さえ、ふすまの向こうに声をかける。
「白石。居るか?」
「はい。ここに」
ゲンイチロウの声に応えるようにふすまが開き、正座をしたスーツ姿の初老の男が現れる。先ほど電話を取り次いだ声だ。
白石カツヒコ。ゲンイチロウがその半生を共にし、公私共に信頼を置く秘書である。
第三の高嶺家に仕えるアキラ、カオリ兄妹の父親でもある。
「あの臆病者からの財産返却は行われておるか?」
「いえ、期限を過ぎて一週間ほどになりますが何の沙汰もございません」
「ふむ」
カツヒコの言葉に頷くと、再び受話器を耳に当てる。
「行われておらぬようじゃの」
『そっか、やっぱり。それならちょっと相談があるんだけど』
「ふむ、何じゃ?」
『実はね……』
ゲンイチロウは、シンジの話を黙って聞き、一言、
「お前の好きにするといい」
とだけ答えた。
『うん、ありがとう、おじいちゃん』
孫の礼の言葉に笑みを浮かべながら、ふと手元にあった招待状が目に付いた。
「そうじゃ、シンジ」
『なに?』
「お前が前に言っておった日重から招待状が来ての。例のJAとか言うロボットの完成披露らしい。わしは行くつもりはないんじゃが、お前、行ってみるかの?」
『JA? ああ、あれか』
「うむ。わしは行くつもりはないのじゃが、一応は正式な招待状じゃからの。代理の者でも出さんと格好はつかんしな。碇の次期総帥たるお前が行って引導を渡すなら、日重の連中も本望じゃろうて」
『引導って……そういうことならわかったよ。ところで、その招待状って何人まで行けるの?』
「む? 特には書いておらぬようじゃな。どうせなら高嶺の家の子達と一緒に行きなさい」
『うん。わかったよ。それじゃ、そろそろ切るね』
「うむ。たまには遊びに来なさい。わしも白石も家の者たちも待っておる」
『わかった。あ、そうだ。たぶんそろそろ母さんのサルベージができるから、それが終わったら絶対一度帰るよ』
「まことか!? ううむ、楽しみにしておるぞ! 絶対じゃぞ!」
シンジの言葉にいささか興奮した様子を見せるゲンイチロウ翁。
『わかった。それじゃあ、今度こそ切るね。今度はきっと母さんを連れて帰るから』
「うむ。それではの」
そこで電話は切れた。
ゲンイチロウ翁は受話器を置くと、カツヒコを見てぽつりと呟く。
「ユイが……帰ってくる」
それを聞いたカツヒコも目を丸くして満面の笑みを浮かべる。
「まことでございますか!?」
「うむ」
翁はカツヒコにシンジとのやり取りを聞かせる。
「よし、白石! 今からシンジとユイを迎える準備じゃ! いつ来てもいいようにしておけ!」
「ははっ!」
ゲンイチロウの言葉に、うれしそうに頷きながら、カツヒコは部屋を飛び出していった。
それを見送ってから、老人は一人、孫への感謝を新たにした。
○○○
その電話の翌日。NERV本部にある司令執務室にて、シンジとユウトはゲンドウと冬月を相手に対峙していた。
「で、いつになったらアンタが使い込んだ碇家の財産を返してくれるんだ?」
「…………」
「だんまりか」
問いかけるユウトに対し、ゲンドウはいつものポーズを作ったまま、二人を睨みつけてむっつりと黙り込む。
見かねた冬月が、ため息をつきながらも、
「ああ、二人とも、もう少しだけ待ってやってくれんかね……」
などと言いはじめるが、
「もともと一ヶ月の猶予も温情だったんですよ? こっちとしては即時の返還命令と同時に財産の差し押さえや口座の凍結なんていう強硬手段にでても良かったんですから」
今からでも電話一本ですぐできるんですよ、と言うシンジの言葉に口をつぐむ。
「それで、です。今日はそのことで相談があってきたんですよ」
「そ、相談かね?」
「ええ。財産を返さなくていいかわりに、ちょっと欲しいものがありまして」
にっこりと笑ったまま、しかし目はゲンドウを見つめたままにシンジはそう切り出す。
「……言ってみろ」
ゲンドウは内心で狂喜していた。
返還を求められている財産はかなりの額になる。
蓄え(といっても非合法な手段で儲けた物だが)はあるものの、そこから出してはその蓄えもほとんど底を突いてしまう。
彼の目的である人類補完計画、ひいては碇ユイとの邂逅のためには、まだ裏工作に用いる金が必要である。
どうにかごまかせないか、と考えていたところにこのシンジからの提案は渡りに船であった。
しかし、
「ファーストチルドレン、綾波レイの身柄」
「「な!?」」
続くシンジの言葉に冬月ともども唖然となることとなった。
呆けたのも一瞬。何とか平静を取り戻すと、ゲンドウは鼻で笑って見せる。
「ふん、馬鹿な。そんなことが認められるわけがない」
「そ、そうだよシンジ君。レイはNERVの機密にも関わっている。それこそ君以上にだ。そんなことが許されるはずがない」
ゲンドウの様子に冬月も我を取り戻すと、ゲンドウに追従するようにそう言う。
「ああ、別に零号機のパイロットを辞めさせようとか、NERVから引き離そうとか思ってるわけじゃありませんよ」
「なに?」
二人の反応を楽しむようにシンジは続ける。
「まぁ“身柄”という言い方は良くありませんでしたね。要するに、綾波レイの待遇を僕のと同じような感じにして欲しい、ということです」
シンジと同じ。つまり、外部協力者でありNERVに所属せず、NERVの権限による命令ができない代わりに給与などNERVから供するものも一切ない、というものである。
「……む」
シンジの言葉に考え込む様子を見せるゲンドウ。
「保護者を変えろとは言いませんよ」
ただし、親権やその他一切もリツコさんに譲渡して欲しい、とシンジは続ける。
レイの保護者はリツコだが、親権などはゲンドウのもとにある。
つまり、実質的なレイの親であるリツコの“実”に“名”を与えて、まさしく“名実共にレイの親”にしろ、といっているわけだ。
ゲンドウの頭がめまぐるしい速さで回転を始める。
現在ゲンドウが親権者の役割を果たしているとは言いがたい上、リツコ自身も(ゲンドウの主観では)ゲンドウに従っているのだから、親権をリツコに渡すのは特に問題はない。
命令に強制力がなくなるのは痛いが、レイ自身が自由意志で従えばシンジたちも口は出せない。そして、レイはゲンドウの命令には盲目的に従う(これもゲンドウ主観)はずなので問題なし。
シンジたちが言い出したことなのでおそらくレイの生活に介入するつもりなのだろうが、そのなかでレイに自我が芽生え、逆らうようなことになれば、殺して三人目に移行させればいい。
ぐるぐると高速回転していたゲンドウの頭脳が一つの答えをはじき出した。
即ち、
「問題ない」
ニヤリ。
「ろ、六分儀!?」
その不気味な笑いに泡を食ったのは冬月だ。
まさかこの男がレイを手放すとは思ってもいなかったのだろう。
一方のシンジとユウトは事前におおよそのゲンドウの思考を予想していたのだが、あまりにその通りの行動をとるため、内心少し呆れている。
「そうか。それなら、この書類にサインしてくれ」
と、ユウトが持っていたバインダーから数枚の書類を取り出す。
裁判所に提出する親権者移行の書類とファーストチルドレンとしての綾波レイのNERVの辞職願、そして、シンジも書いた外部協力者としての取り決めを記した契約書だ。その内容はシンジのものと同じである。
机に並べられたそれらにゲンドウは迷いなくサインしていく。
「ほ、本当にいいんだな、六分儀? よく考えたほうがいいぞ?」
それを見た冬月は確かめるようにもう一度聞くが、
「問題ない」
ゲンドウは意に介さない。
ユウトはサインされた書類を取り上げ、確認すると、シンジに頷く。
「それじゃあ、碇家は六分儀ゲンドウが使い込んだ財産の権利を放棄するよ」
と、それを見たシンジは二人に鷹揚に頷いた。
ゲンドウはそれを睨みながら、
「用が済んだなら帰れ」
と吐き捨てるように言う。
しかし、シンジはそれを気にすることもなく続ける。
「これで、貴方は綾波レイとは個人的に一切の関係がなくなった。ファーストチルドレンの名称も正式なものではなくなる」
座ったままのゲンドウを上から見下ろすようにしながらシンジは言う。
「もちろん、彼女の自由意志を阻害するつもりはないけど、彼女の同意なく命令や実験への参加の強制があった場合……」
そこで言葉を切り、二人を睨む。
「ど、どうなるというのかね?」
それに耐え切れなかったのか、なけなしの虚勢を張って冬月が聞き返す。
「俺たちは完全に敵になるだろうさ」
それに対し、ユウトが答えた。
「ふん、お前たちに何ができると言うのだ」
「六分儀!」
馬鹿にしたように言うゲンドウをたしなめる冬月。
シンジが敵になるということは、少なくとも初号機のパイロットがいなくなるということなのだが、ゲンドウは気づいているのか。
それを呆れた目で見ながらシンジが言う。
「僕たち――碇財閥と、それに協力する全ての人たちが、ね」
「「!」」
シンジの言葉に、ゲンドウと冬月が固まる。
それじゃあね、とだけ言い残すと、ユウトとシンジは一顧だにせず司令室を後にした。
「……早まったんじゃないか?」
目先の利益にこだわりおって、と冬月。
しかしゲンドウは、先ほどの考えをとうとうと冬月に語り、最後に、
「問題ない」
と締めくくってニヤリと笑った。
「ム……そうか? そうだな……」
冬月も一応納得し、頷いて見せるものの、心の中にはわずかな不安が残った。
○○○
シンジとユウトがゲンドウと冬月を相手にしているころ。
ターミナルドグマのレイの素体たちがたゆたう水槽の前に二人の人影があった。
一人は水槽のなかの素体と同じ姿を持つ少女――綾波レイ。
一人はその素体を用い、様々な実験を行ってきた科学者――赤木リツコ。
ここに来て思い出すのは、身勝手な男に体も心も、魂すらも弄ばれた記憶。それは形は違えど二人に共通する想い。
今となっては、ここは二人にとって忌まわしい過去の象徴であった。
「……いいのね?」
「はい」
確かめるリツコにしっかりと頷いてみせるレイ。
リツコは持っていたスイッチを、
「……私も」
「……そうね」
レイと一緒に押し込んだ。
LCLの水槽のなか、崩れていく綾波レイの形をしたモノたち。
「さようなら、私たち」
「ごめんなさい。でも、きっとレイは私が護るわ」
それをじっと見つめながら、二人の姉妹はきゅっと手を握り合う。
二人は素体の全てが崩れてしまうのを最後まで見届けると、その場を後にする。
最後まで二人が振り向くことはなかった。
しばらくの後、素体が消えたことに気付いたゲンドウはリツコに詰め寄った。だが、彼女は相応のあわてた演技をして見せたが、知らぬ存ぜぬで通した。
ゲンドウは、あわててレイを手元に取り戻そうと画策したが、冬月に「世界経済の半分を敵に回すぞ!?」と止められ、「だからあの時良く考えろといったんだ!」との言葉に、言い返すことができなかった。
頭を抱えた二人が、ダミープラグの研究が頓挫したことに気付くのはさらにその2時間後だった。
○○○
高嶺邸の朝は早い。
食事の準備をするシンジはもちろん「使用人が主人より遅く起きるわけにはいかない」とカオリもシンジより先に起きて台所の準備をしている。
アセリアとユウトは木刀を用いた(神剣を使うと余波で屋敷が壊れかねないため)打ち合いが日課であるし、最近ではそこにレイが加わり、マナを操る訓練が行われる場合も多い。
目下最大のネボスケはユーフォリアだ。
だが、彼女も朝食が準備できる前には起き、きちんと身なりを整えて食堂に現れる。
どこかの生活無能力者とは違うのである。
「ごはんだよ〜!!」
というシンジの声で高嶺一家は食堂に集合した。
そこにはレイとリツコの姿もある。
彼女たちはレイの素体を破棄してから、ほとんどを高嶺邸で過ごしている。
無論、レイを奪われた形のゲンドウが強硬手段に出るのを警戒してのことである。
彼女たち用の部屋も用意され、もはやこの家の一員であった。
七人で朝食を摂り、食器をかたずけると同時にチャイムがなる。
「お迎えが来たようね」
微笑むリツコにシンジたちも微笑を返し、置いてあったカバンを掴む。
「リツコさんの分のお弁当、キッチンにありますから」
と言いながら、登校組に弁当を配る。この弁当もシンジのお手製だ。
全員でぞろぞろと玄関に向かえば、そこにいるのは迎えに来たヒカリとトウジ。
「おはようさん」
「おはよう、皆さん」
挨拶をする二人に挨拶を返しながら、
「それじゃ行くか」
「ん」
「「行ってきます」」
「……行ってきます」
カオリとリツコに、ユウト、アセリア、シンジとユーフォリア、レイが順に挨拶をして玄関を出て行く。
「行ってらっしゃいませ」
「行ってらっしゃい」
カオリとリツコもそれに返して笑顔を見せる。
「ほな、行って来ますわ」
「行ってきます」
美人二人に目を輝かせながら挨拶するトウジとそれを肘でつつきながら挨拶するヒカリ。
「ほら、行くぞ」
と声をかけるユウトにさりげなくアセリアがその腕を絡ませる。
微笑をかわしながら登校していく子供たちを見ながら、リツコとカオリもまた頬を緩ませた。
○○○
第三新東京市第壱中学校では、ここ数日を使って二年生の進路相談が行われていた。
「センセのトコはカオリはんが来るんか?」
「うん、まあね。ここでの保護者ってことになってるし」
カオリからすればシンジたちは主ということになるのだが、対外的にはシンジはもちろんユウトやアセリアも未成年のため、彼女が保護者ということになっている。
「まぁ、おじいちゃんに電話したら無理にでも来そうな気がするけど……ヘリとか飛ばして」
「……どんなオジィやねん」
「ゲンおじいちゃんなら確かにやりそうだね」
微笑みながら同意をするユーフォリアだったが、その表情に嘘や誇張を見出せないヒカリとトウジは呆れていた。
今は昼休み。進路相談は午後から行われるため、シンジ、ユーフォリア、レイ、トウジ、ヒカリは窓際で机を囲んで一緒に弁当を食べていた。
この五人はすでにクラスでは一つのグループと見なされている。
トウジと親しかったケンスケがそこに入っていないのを最初のうちは不思議がっていたクラスメイトたちだったが、今ではこれが普通になっていた。
「レイさんのところは誰が来るの?」
「リツコお姉ちゃんが」
うれしそうに微笑むレイ。姉バカにつられて彼女も最近シスコン気味である。
「そうなんだ。私のところもお姉ちゃんが来るのよ」
笑顔を見せるレイにヒカリもうれしそうだ。
五人は和やかに昼食を進める。
と、駐車場に滑り込んでくる一台の車がある。
流麗なフォルムを見せる青いスポーツカー。そこから降りてきたのは、
「「「「「おお!?」」」」」
髪を金髪に染めた妙齢の美女と――茶色がかった髪をアップにまとめたメイド服姿の女性だった。
それを見ながら、
「か、カオリさん……」
釘を刺しておくべきだった、とシンジは心底後悔していた。
カオリは“メイド”という職業に心から誇りを抱いている。そしてその制服ともいえる“メイド服”にも。
一度「その格好で外に出るの止めたら?」とシンジは言ったことがある。恥ずかしくは無いのか、と。
その時、彼女はいつもの柔らかな口調ではなく、きっぱりとした声でこう答えたのだ。
「私は私の職分に誇りを持っています。高嶺の皆様やシンジ様にお仕えできることを心から嬉しく思っています。皆様にお仕えすることを象徴するこの服を恥ずかしく思うなど、ありえない事です」
以来、シンジはその話題を持ち出すことはやめた。
もちろん、きちんと頼めば彼女は場に即した服を着てくれるし、それでなくても、何を言わずとも彼女は雰囲気というものを読んでくれる。
「いちいち指示されているようではメイド失格ですわ」らしい。
だから、今回もスーツか何かを着てくれるものと思っていたのだが、彼女にとって保護者という役割も“奉仕”の一環であったらしい。
「め、メイド!?」
「しかも美人!」
「誰だよアレ!?」
ざわざわと騒ぎ出し、窓から身を乗り出す男子生徒の声を聞きながら、
「はぁ……」
シンジは深いため息をついた。
今、外から校舎を眺めれば、窓という窓にすずなりになった男子生徒の群れが見えることだろう。
「あ、カオリさんとリツコさんだ。おーい!」
ため息をつくシンジに気付いたふうも無く、ユーフォリアは眼下の二人に手を振る。
リツコとカオリもユーフォリアに手を振り返す。
「なに、高嶺、知り合い?」
「うん、うちのメイドさん。私とシン君の進路相談に来てくれたの」
「え!? あのメイドさん、高嶺と碇の保護者なの!?」
「隣の金髪のお姉さんは綾波の保護者!?」
「何で碇の周りにばっかり美人が集まるんだ!?」
にこやかに応えるユーフォリアの声と男子生徒たちの悲鳴が聞こえる。
「センセも大変やなぁ」
「……うん、大変なんだよ」
トウジの言葉が心に沁みるシンジであった。
第壱中学校は今日も平和である。
○○○
NERV本部内の作業用昇降機の上。シンジとレイ、マヤ、リツコ、日向の姿がある。
隣にはLCLの満たされた巨大な水槽が見える。
今は見えないものの、その向こう側には初号機が固定されているはずである。
シンジは最近よくNERV本部を訪れる。リツコの実験に顔を出すようになったのだ。
某髭と電柱はやっと言うことを聞く気になったのか、とほくそ笑んだが、シンジに一切そんな気がないのはその二人と某作戦部長以外の目には明らかだった。
彼が実験に参加するようになったのは、ひとえにリツコを信頼しているからであり、彼女への頼みごとの報酬であった。
今回は二時間ほどのシンクロテストを終えたところで、すでにプラグスーツからいつもの学生服に着替えている。
「初号機は問題無しね。シンジ君のシンクロ率も安定してる」
「ええ、問題は零号機ですね」
リツコの言葉に頷きながらも、マヤの声は心配そうだ。
「こないだの作戦で加粒子砲の直撃は無かったものの、余波の熱だけで前面の装甲のほとんどが融解して総とっかえですからね」
という日向の言葉に、
「レイちゃんが無事でよかった……」
「本当に……」
姉バカ二人は愛おしそうにレイを見つめる。
「申し訳ない。作戦部としては……」
「いえ、いいんです。日向さんが精一杯やってくれてることは皆知ってます」
謝ろうとした日向の言葉をマヤが遮った。
「……エヴァに乗るのは私が選んだこと」
それに応じるようにレイも日向に言う。
シンジも日向を見つめて頷いた。
「……すまないな、二人とも。俺もできる限りバックアップしてみせるよ」
「ありがとうございます」
「……ありがとう」
真摯な日向の言葉にシンジとレイは笑顔を見せる。
「これを機に零号機は改修したほうがいいわね」
それを微笑んで見つめながらもリツコがマヤに話しかける。
「ええ、零号機は試作機ですから……戦闘に耐えられるようにしたほうがいいかもしれません」
「それなら、作戦部からも意見書を出しておきましょう」
その方が予算もおりやすいでしょう、と二人の会話を聞いていた日向が言った。
「そうね、お願いできるかしら」
「でも、予算足りるでしょうか?」
「シンジ君たちのおかげで被害は最小限……だとは思うんだが、それでも第五使徒は強かったからな……」
ラミエルの放った加粒子砲で第三新東京市の兵装ビル群はかなりの損害を受けていた。
「でも、エヴァがやられるよりは遥かにましな結果よ」
「わかってますよ。それに、司令が予算の会議に行ってますしね。手腕に期待しましょう」
という日向の言葉に反応したのはシンジだった。
「あれ? あの男は今いないんですか?」
「あ、あの男って……確かに司令は今、成層圏の上だと思うけど」
「日向さんもNERV上層部が信用できないことには気付いてるでしょう?」
「そ、それは、まぁ……」
戸惑う日向をとりあえず置いておいて、シンジはリツコにささやきかける。
「リツコさん、今日、例のアレ、やりましょう」
「アレ? ああ、アレね……そうね、いい機会だわ」
微笑むシンジにリツコも意味ありげに微笑を返した。
○○○
その日の深夜、ゲンドウが会議で不在の折を狙ってとある実験が行われた。
極秘裏に行われたそれに参加した技術部のスタッフはリツコとマヤの二人きり。シンジが実験に協力する条件という名目で、他の職員の同席は許されなかった。
初号機の実験と偽ったユイのサルベージである。
リツコが準備したのは観測機器とMAGIのログを改竄する準備だけだったので、実際どうやって行われるのか興味津津で見ていた。
エントリープラグに入ったシンジはMAGIの助けもなく、あっさりと一人で初号機を起動させてしまうのを見て、呆然とする。
「へ?」
「え?」
呆気に取られる師弟コンビを他所に、シンジはいつの間にか取り出した『福音』を水平に構え目を閉じて集中していく。
「シ、シンクロ率0……なんで起動しているの?」
「お、おそらく、コアではなく素体……『福音』そのものとシンクロしているんだわ」
驚愕を浮かべる二人を他所に、シンジがゆっくりと目を開ける。
『……母さん』
そう呟いた瞬間だった。
LCLから滲み出すように、一人の裸の女性が出現する。
レイを黒髪にして20代後半くらいまで成長させたような姿。
リツコがスクリーンの中に見る彼女は、まぎれも無く碇ユイその人であった。
シンジはその女性を抱きかかえると、
『リツコさん、何か着る物をお願いします』
そう言って初号機を停止させた。
数瞬、リツコとマヤは呆然としていたが、リツコはマヤにデータの収集と洗い直しを命じると、持っていた病衣を抱えて管制室を飛び出した。
病衣を着せられたその女性――碇ユイはそのまま高嶺邸に連れて行かれ、リツコの手による綿密な検査の上、若干の衰弱が見られるものの異常無しと判断された。
目を覚ましてすぐ、生身でのシンジとの再会を喜び合った彼女は、若干心配されたリツコとレイとの顔合わせも無事に済み、レイには「私がお母さんよ」とすら言って見せた。レイもまた、喜んでそれを受け入れた。
リツコにも体調が戻り次第、10年のうちに進歩した科学技術に関する講義をしてもらう予定だと言う。
シンジの「あの男とはどうするの?」との問いかけに、「私はもうあの人を信じられない」と答え、ユイはゲンドウとの決別を決意したのだった。
○○○
会議を終えたゲンドウは、一人衛星軌道旅客機に乗っていた。
いかに特務機関の司令とは言え、一人に対しSSTOを使う……無駄遣いもいいところである。
が、ゲンドウにそのような意識はなく、自らに与えられた当然の権利だと考えていた。
席に座って眼下に地球を眺めながら、ゲンドウは一人考える。
計画は順調だ。追加予算も承認された。
使徒戦も思っていたほどの被害は出ていないが、それは良い方向への誤算だ。委員会の覚えも良い。
ただ、予想外の出来事が起こり始めている。ユウトたち高嶺家や碇家の介入。さらにはレイの素体の消失。
そして何よりもシンジ。シンジに関することだけが自分の思い通りに行かない。
ゲンドウは無表情に眼下の景色を眺めたまま、頭の中で憎悪を燃やす。
被創造物の分際で、造物主たる自分の思惑から外れた行動をとる忌々しい小僧。
脆弱なはずの少年は、強靭な精神を備え、使徒戦でも活躍している。
それはいい。使徒は倒さねばならない。だが、奴の本当の役目はそんなことではない。シンジの本当の役目はユイを目覚めさせることなのだ。
なのに奴はその役目を果たすこともなく、あろうことかレイまで自分の手から奪って行った。
爆発しそうになる怒りをこらえて、しかし、と考える。
レイは自分の人形だし、シンジの周りにいるのもせいぜい高校生のガキ。
所詮は子供。後からどうとでもできる。碇の介入は気になるところだが、シンジを屈服させれば逆にこちらの力にできるだろう。
着々と計画は進みつつあるのだ。たとえ、どれほどの力を持とうとこの大いなる流れに逆らうことなどできはしない。
(俺は取り戻すのだ……ユイを。あの微笑みを)
男は気付かない。自らの瞳に狂気が浮かんでいることに。
否、気付いているのかもしれない。だが、男にとってそれは大きな問題ではないのだ。
男にとって、全て――そう、男自身すらも含めたこの世界に存在するもの全て――は愛する妻に再会するための道具であり捨石なのだ。
(ユイ……)
にごった瞳に狂気を乗せて、男は一人妻を想う。
すでに妻から見限られていることに気付かぬまま。
○○○
そしてさらに数日後。
旧東京は第28放置区域。国連本部のある第二新東京を擁し、文字通り世界の中心ともいえる日本にあって、旧世紀の遺産ともいえる場所にその施設はあった。
日本重化学工業共同体――通称を日重と呼ばれる企業グループの野外実験場である。
広大な敷地を誇るその実験施設の一角に設置された特設会場では、日重の開発したロボットの完成披露が行われていた。
「本日はご多忙のところ、我が日本重化学工業共同体の実演会にお越しいただき、まことにありがとうございます……」
得意げな顔で話をする男が立つ壇上には“祝 JA完成記念披露会”と書かれた幕。
ホール内には白いテーブルクロスを掛けられた大きなテーブルがいくつもならんでおり、その上には所狭しと料理が並んでいる。
その中で、ホールの中央に置かれたテーブルには料理はなく、手の届かない中央にビール瓶が数本置いてあるだけだ。
そのビール瓶の横には「ネルフ御一行様」と書かれた紙が立てられている。
そこに座るのはNERV作戦部長葛城ミサトと技術部の責任者である赤木リツコである。
「全く……せこい嫌がらせするわねぇ……」
「そうね。それには同意するわ」
ぽつりと呟くミサトに同意するリツコ。
だが、次の瞬間、
「……ふわぁ……」
口元を手で隠しながら大きなあくびをする。
「どったの?」
「あんまり寝てないのよ。誰かさんと違ってきちんと仕事してるから!」
ユイのサルベージ後のデータ検証や零号機の改修計画の準備のためにここ最近執務室に缶詰だったのだ。
「なによ。最近はちゃんとやってるわよ」
「日向君に言われて、でしょ?」
「ぐ……」
何とか言い返してやろうとミサトは憎憎しげな目を彼女へと向ける。
が、結局何も思いつかず、
「ところで、何であいつらがここにいるのよ!?」
と話題を変えるようにそう言った。
ミサトが示した先にはNERVのテーブルと同じく、料理の置かれていないテーブル。
そこにはシンジ、ユウト、アセリアの三人と、ミサトは知らないが彼らに仕えるメイドのカオリ、そして護衛としてついてきたアキラの姿があった。
全員がスーツ姿である。アキラはいつもの黒服だが、シンジはブルー、ユウトはグレイの仕立ての良いツーピースのスーツ姿。恐らくはオーダーメイドであろう。
カオリは黒のタイトなスカートと同色のジャケットで、その様はどこぞの社長秘書のようだ。アセリアはユウトにあわせたのであろう、グレイのパンツスーツだ。
五人、特に年少の三人はこの場には不相応に若いのだが、その身にまとう雰囲気はこの場にいる誰にも負けないほどの風格を放つ。
その様子をまぶしく眺めながら、
「碇財閥として、なんでしょ」
シンジ君は跡取りなのよ? とリツコは答える。
「何よ、あいつらもこの計画に一枚噛んでるわけ!?」
どういうつもりよ、といきまくミサトだったが、
「いえ、碇財閥は関わっていないわ。たぶん、この機に資金援助が欲しいんでしょ」
財界の雄ですもの、とリツコは締めくくった。
やがて、壇上で得意げにJAの性能を説明した中年の男――時田シロウ、JAの開発責任者らしい――が、説明を締めくくる。
「以上でJAのスペック説明を終わらせていただきます。この後は公試運転をごらんいただくことになりますが、ご質問のある方はこの場にてどうぞ」
「はい!」
待っていましたとばかりに、勢い込んで手を上げるリツコ。
「これはこれは、ご高名な赤木リツコ博士。お越しいただき誠に光栄の至りです」
「質問、よろしいでしょうか?」
嫌みったらしく応える時田にリツコは厳しい表情で言う。
「ええ、もちろん」
「資料によれば、内燃機関内蔵とありますが……」
「ええ、本機の大きな特徴です……」
「あちゃあ……始めちゃったよリツコさん」
「はは、血気盛んだな」
その様子を眺めるのは、こちらも手を上げようとして先を越されてしまった碇グループの一同だった。
リツコの質問に嫌味と優越感をにじませながら答えていく時田を、
「……アイツ、嫌い」
アセリアはそう評した。
「人の心などという曖昧なモノに頼っているからNERVは先のような被害を許すのですよ。NERVの求める莫大な追加予算で某国では数万人の餓死者が出ているんですよ? 責任者の責務は果たして欲しいものですな。良かったですね? NERVは特務権限で保護されていますから、あなた方は責任を取らずに済む」
シンジがLCLの海で知った『前史』では、暴走の追求があったのだが、今度の歴史ではシンジは初号機の暴走を起こしていないため、それはなかったようである。
しかし、時田は必要以上にNERVを皮肉る。
「何と言われようと、NERVの決戦兵器以外あの敵性体は倒せません!」
何とか食い下がろうとするリツコだったが、
「A.T.フィールドですか? それも時間の問題ですよ。いつまでもNERVの時代ではありませんよ」
答える時田の声に嘲笑が混じる。
会場内にも馬鹿にしたような笑い声が満ちた。
「あ〜あ……ったく、何でこう、この世界にはろくな奴がいないんだ?」
会場内を見回しながら、まともなのはお前の爺さんくらいだぞ、とユウトがシンジに話しかける。
シンジはそれに笑って答え、
「ほめ言葉だと思っておきます」
いや、ほめてんだぞ、というユウトの声を聞き流しながら、シンジは手を上げる。
「はい!」
声の挙がったほうを見た時田は、その顔に再び嘲笑を浮かべる。
手を上げたのはスーツ姿の少年だったのだ。
(何だこのガキは?)
内心の思考を表に出さないように注意しながら、表面上は丁寧な対応をしてみせる。
「何ですかな?」
「僕は碇シンジ。今日は祖父である碇ゲンイチロウの名代――碇財閥の代表として参りました」
「い、碇翁の!?」
少年――シンジの言葉に会場内がどよめく。時田の顔にも驚愕が浮かんだ。
碇財閥と言えば、世界の経済の半分を支配するとすら言われる大企業グループである。
孫とは言え、財閥の代表者としてきているのだ。おいそれと失礼な対応はできない。
「こ、これは失礼いたしました。それで、ご質問でしょうか?」
ええと頷くと、シンジは、関係ないかもしれませんが、と前置きして、
「某国の餓死者を引き合いに出す資格があなた方にあるんですか?」
「は?」
いきなりのJAとは関係のない質問に目が点になる時田。
「確かに、NERVやそれが所有する決戦兵器は金食い虫ですが、それを指摘するあなた方がこんな豪勢な料理を前にしていては説得力がないですよ?」
シンジは続ける。
「世界を憂える方々がそろっているんでしょう、ここには? 僕らは辞退させてもらいましたけど、こんなことに掛けるお金があるのなら、少しでもJAとやらの開発資金に回すなり、それこそ某国へ資金援助をしたらどうなんですか?」
シンジたちのテーブルに料理がないのは、シンジたちが必要ないと言ったためであった。
しかも碇財閥は財政の苦しい国への資金援助などは積極的に行っている。
その言葉にはかなりの説得力があった。
「そ、それは失礼しました。しかし、せっかくお越しいただいた方々に失礼をするわけにもいきませんので……」
気まずい雰囲気の満ちる会場。だが、シンジは気にせず話を進める。
「ま、いいでしょう。これ以上はここで言ってもしょうがないことですし」
続けます、とシンジは言う。
「原子炉が事故を起こした場合、あるいは戦闘で損傷を起こした場合の対応はどうなっているんですか?」
「原子炉の周辺の装甲は十分な耐衝撃試験を行っております。また、あらゆるミスを想定し、事故や暴走を防ぐべく全てに対応できるよう対策がとられています。そのようなことは万に一つもありえませんよ」
「では、十万に一つで起きてしまった場合は?」
「は?」
またしても目が点になる時田。
「人がすることに“絶対”などと言うことはありえません。『万に一つも起こりません』ではなく、『十万に一つ、百万に一つ起こった場合にどう対処するか』が重要なのではありませんか?」
「ぐ……」
答えられない時田を見つめたままシンジは続ける。
「また、先ほど『A.T.フィールドは時間の問題』とおっしゃっていましたが、具体的にはどの程度で実装可能なのでしょうか?」
「そ、それは……」
「それに“完成”披露にもかかわらず、JAに対使徒戦において重要なファクターであるA.T.フィールドを装備していないのは何故なんでしょうか?」
「ぐっ……こ、これより、JAの公試運転を行います! 見学会場のほうへ……」
答えることができずに、強引に打ち切ろうとする時田だったが、
「最後に、一つ、よろしいでしょうか?」
「……どうぞ」
有無を言わせないシンジの様子に、時田は渋々質問を許す。
が、それを彼は後悔することとなる。
「この茶番はいつまで続くんですか?」
「ち、茶番!?」
シンジの発言にざわざわと会場がざわめきだす。
「ええ、だってこれ、要するにNERVに対する嫌がらせでしょう? あなた方もまさか本気でこのJAとやらが使徒に対抗できるなんて思ってるわけじゃないんでしょう?」
「ば、バカを言うな!」
「え、まさか本気だったんですか?」
「当たり前だろうが!!」
あまりと言えばあまりのシンジの発言に、時田の頭に切れんばかりの青筋が浮かぶ。
「では質問を変えましょう……正気ですか?」
「な……!?」
シンジの言葉に怒気と殺気が混じり始める。
「A.T.フィールドも持たない兵器が本当に使徒に抗しうると? 原子炉なんて危険なものを搭載した機体を本気で市街地で運用すると? あなた方は僕を……碇グループをバカにしているのですか?」
「そ、そんなことは……」
「もう一度聞きます。正気ですか?」
「し、正気に決まっている!」
「そうですか……」
と、シンジはそこでいったん言葉を切り、壇上の時田や会場を見回す。
そしてゆっくりと口を開いた。
「それでは、今後碇財閥とその関連企業は日本重化学工業共同体との一切の取引を停止します」
シンジの言葉を受けて、カオリが携帯電話を取り出し何かを話す。すると、会場内の照明がいきなり落ちた。
「な、なんだ?」
「何が起こったんだ!?」
参加者たちの声が会場に響く。
それを気にする事無くシンジは続ける。
「ここに電気を供給してた会社も、うちの関連企業ですよ?」
放置区域にある実験場に電気など通っているはずもない。
エネルギー関連の会社と提携して電力供給を受けていたのだ。
そして、その会社も碇財閥の傘下の企業だったのである。
「そ、そんな……そんなことをすれば違約金が……」
「あんな欠陥品を戦場に出すくらいなら、たかだか数億の違約金くらいいくらでも払いましょう」
シンジの言葉が会場内に冷たく響く。
逆に言えば、それだけの金を払ってもJAを戦場に出したくないという事である。
呆然とする時田に、追い討ちをかけるような報告が入る。
「た、大変です! うちの株価が大暴落してます!」
「な、何だと!?」
「ああ、財閥関連の証券会社が一斉に売りに出したからですね」
「バカな!」
叫ぶ時田に出資者たちが詰め寄っていく。
「僕にはあなた方が正気なようには見えません。正気でない人たちと商売をするつもりもありません」
最後にそう言い放つと、シンジはユウトたちに声をかけて会場を後にする。
最後にちらりとリツコに向けてウインクをすると、リツコは微笑を返してくれた。
「話が違う」「どういうことだ」などという言葉に混じって「待ってくれ」「もう一度考え直して」などという言葉が聞こえてくるが、シンジたちは一顧だにしなかった。
外に出たところで、
「待って!」
という声に振り向くと、リツコとミサトが走ってくるところだった。
ミサトは「よくやったわサードチルドレン!」などとえらそうに話しかけようとするところをカオリとアキラに止められる。
指揮官としてはともかく、一戦闘者としては優秀なミサトであったが、二日酔いであったこととアキラが軍事訓練を受けた同等の使い手だったこともあり、わめくだけわめいたところであっさりと気絶させられた。
「や」
「どうも」
「ん」
そんな様子を一切気にすることもなく、軽く挨拶をする高嶺・碇一行とそれに微笑みを返すリツコ。
「ずいぶん派手にやったわね」
「ええ、まあ。おじいちゃんから好きにやれって言われましたから……」
恥ずかしそうに頭をかくシンジを見ながらリツコが言う。
「でも、すっきりしたわ」
「そうですか?」
ええ、と頷きながらもリツコは続ける。
「でも、シンジ君がこんな派手なことをするなんて思わなかったわ」
「エヴァをバカにされるのは許せませんから」
「え?」
「だって、僕らの相棒ですから」
そう言って微笑むシンジに、
「そうね」
とリツコも微笑を返した。
結局、JAは完成披露どころか起動することすらできず、日重の株券は紙切れ同然となり、倒産の憂き目にあうこととなった。
JA開発の裏にいた政治家たちも、大きな資金源を失い四苦八苦することとなるが、シンジたちには全く関係のないことである。