第十三話


「六分儀、いささかまずいことになったぞ」

司令室に入ってきた冬月は、開口一番そう言った。

「何だ?」

おなじみのポーズのまま問いかけるゲンドウに、冬月は答える。

「ドイツから輸送中の弐号機だ」

「弐号機がどうかしたのか?」

「ドイツ支部の連中、海上輸送にもかかわらずB型装備の上、電源ソケットすらつけていないらしい」

「何!?」

もともとドイツ支部はSEELEの膝元であるため、本部への敵対心が強い。

さらに言えば、彼らにしてみれば有色人種カラードが自分たちの上にいる、ということが許せないのだろう。

しかし、このような子供じみた手で嫌がらせをしようとは思ってもみなかった。

(SEELEは何をしていたのだ!? 使徒が来ることはわかっているし、アレ・・も一緒に輸送しているのだぞ!?)

「……しかたがない。ソケットを届けさせよう」

苦々しい声でゲンドウは言う。

「ふむ。誰に行かせる?」

「葛城……いや、赤木博士に行かせよう」

「彼女はごねんかね?」

暗にミサトを示す冬月。

「平時のエヴァに関しては技術部の管轄だ……念のためにサードを一緒に行かせる」

「む?」

「アレが一緒に行けば葛城一尉は着いていくのを嫌がるだろう。名目は……パイロット同士の顔合わせ、とでもすればいい」

「分かった」

早速備え付けの電話で連絡を取る冬月を他所に、

(む? シンジが第三を離れる……! 今のうちにレイに釘を刺しておけば……)

レイへ干渉しようと考えをめぐらせる。

が、

「余計なことを考えるなよ」

「! な、何だ冬月」

いつの間にか通信を終えた冬月がゲンドウを呆れた目で見ていた。

「お前の考えていることくらい分かる。レイにいらぬ手出しをするつもりだろう?」

「む……」

「シンジ君がいなくとも、例の高嶺の家の子たちが一緒にいるだろうからな。接触はできまいよ」

「く……」

悔しそうなゲンドウを、冬月はただ黙って見つめていた。




○○○




京都は碇本家内、当主私室。

「お父様……」

「ユイ……」

いつもは厳しい光を湛えた目に涙を浮かべて、ゲンイチロウは目の前に座る娘を見つめる。

その姿は十年前と何も変わっていない。

「やっと、帰って来たの……この親不孝娘が」

「申し訳ありませんでした……」

内容に反してその言葉は柔らかい。

「もう良い、もう良いのじゃ……」

「お父様……!」

そこで耐え切れず、ユイは父の胸へと飛び込んだ。

ごめんなさい、ごめんなさいと胸の中で泣く娘を老人はしっかりと抱きしめた。


しばらくして、体を離すと、二人は笑いあった。

「もう泣くでないぞ。綺麗な顔が台無しじゃ」

「もう、お父様ったら……」

「シンジも来られたら良かったのにのう」

「あの子もいろいろと忙しいですから」

中学生とは思えないくらいに、とユイは苦笑する。

そうじゃな、とゲンイチロウも頷いて、

「この十年……いろいろあった」

十年ぶりの再会に、二人は様々なことを語り合った。

老人はこの十年に何があったのか。特に、孫が来てからの四年間のことを。

娘も、自分が目覚めてからのことを話して聞かせるが、その内容は多くなく、もっぱら父親の聞き役に回ることとなった。




○○○




二年前。

ドイツの首都ベルリンにあるベルリン大学。

正式名称をベルリン・フンボルト大学と呼称されるその大学は、ドイツで最も古い大学である。

創立は1810年であり、200年を超える歴史を誇る。

セカンドインパクトとそれに次いで起こった動乱の中でキャンパスこそ新しくなったものの、そこに通う学生たちは自らの学び舎に誇りを持ち、今ではヨーロッパの中でも最高学府の呼び声も高い。

そんな大学のキャンパス内で、一際目立つ二人組が向かい合っていた。

二人とも年若い――10歳を少し越えたほどの幼い少年少女である。

少年の外見は東洋人系であり、黒髪と黒い瞳、そして、がっしりとした体格と彫りの深い顔の者が多い白人男性の中にあって、いっそ女性らしいとすら言える繊細な面立ちはとても魅力的に映る。

対する少女もとても美しい少女だ。東洋人と西洋人の血が混じったその容貌は、どちらにあってもエキゾチックな印象を与える。わずかに赤みがかった金髪とサファイアを思わせる青の瞳、そして一点の曇りもない新雪のように白い肌が鮮やかなコントラストを生む。

しかし、少女がその花のようなかんばせに浮かべているのは厳しい、睨みつけるような表情。

「で、もういっぺん言ってみなさい」

「うん……僕、日本に帰ることになったんだ」

申し訳なさそうな顔をしながらも、少年は言葉をつむぐ。

一瞬、少女はとても悲しそうな光をその瞳に浮かべ、

「ふ、ふん! あんたがいなくなるんなら、せいせいするわよ!!」

その光はすぐに睨みつけるような表情の仮面の下に隠れてしまった。

「うん、僕も寂しいよ」

「あんたバカァ!? 誰が寂しいなんて言ったのよ!!」

しかし、少年も慣れたもの。彼女が素直に自分の感情を表現できないのはよく知っていた。

少年はそんな少女をかわいい、と思っていたが、同時にその仮面の下に隠れた心は酷く不安定なことを知っていた。

だから、


「ねぇ」

「……何よ」


少年は言葉を紡ぐ。


「君は、本当に誇り高い人だ」

「な、何よ、急に」


自分の心の中にある素直な言葉を。


「だからこそ、その誇りに負けないで」

「…………」


少女を想う気持を、言葉にして。


「たとえ、どこにいても、どんなことがあっても」


そして、想いをこめて少年は微笑む。


「僕は君の味方だから」


「っ!」

それを見た少女は顔を真っ赤にして、助けを求めるように周囲を見回し、そして最後にうつむいて、

「……うん」

と一つだけ答えた。




○○○




ゆっくりと意識が覚醒する。

「……夢か」

ぼんやりとする頭で、周囲を見回し、ここが自分に与えられた船室だと気付く。

軽く頭を振ってさっき見た情景を振り払う。

「アイツ……どうしてるかな?」

二年前に別れる時に見た少年の微笑みは、今でも記憶にはっきりと残っている。

「日本……か」

ここは日本に向かう船の上。だから、あんな夢を見たんだろうか?

「また、会えるかな……?」

他人には絶対聞かせることのできない本音。

ふふ、とだけ少女は笑うと、

「今日は迎えが来るんだっけ……よしっ!」

ぐっと気合を入れると、少女――惣流・アスカ・ラングレーはベッドから飛び降りた。



朝食をとりに食堂に行くと、そこには見知った顔が待っていた。

「加持先輩」

「やぁ、おはようアスカ」

アスカの護衛である加持リョウジだ。

「おはようございます」

ドイツ語で話しかけてくる加持に対し、アスカは日本語で答えた。

「あれ? 今日は日本語なのか?」

「だって、今日日本から迎えが来るんでしょう?」

こちらも日本語に切り替えた加持に、アスカは微笑んで答えた。

正確に言えば、すでにここは日本の領海だ。

おとといに沖縄、昨日の佐世保を経由して、今日の夕方には目的地である新横須賀に到着する予定である。そこからは陸路で第三新東京市を目指すことになる。

二人は、ソーセージとスクランブルエッグ、サラダにパンという簡単な朝食を受け取って席につく。

一口パンをかじった加持は、アスカに話しかけた。

「そう言えば、アスカ。サードのプロフィールが手に入ったんだけど、見たいか?」

アスカは少しだけ逡巡し、

「いい」

と答えた。

それを聞いた加持は大げさにびっくりしてみせる。

「どうして? ドイツでもずいぶんサードのこと意識してたみたいじゃないか」

「別に。サードと競争するわけじゃないし」

アスカの答えにいよいよ加持は驚愕する。

「あ、アスカらしくないんじゃないか?」

いつも自分が一番でなくてはならないと意気込んでいた少女の言葉とは思えなかった。

「ちょっとね」

「ちょっと?」

聞き返す加持に、アスカは少しだけうれしそうに微笑むと、

「思い出したの。どんなことがあっても私の味方だって言った、とあるバカをね」

「へぇ……はじめて聞く話だな」

「加持さんと会う前だもの」

微笑むアスカを、加持は興味深そうな表情で見つめる。

そして、気付いたように加持は言う。

「何だアスカ、例のワンピースじゃないのか? アレで気合入れる、とか言ってなかったか?」

加持の頭にあるのは少女のお気に入りのレモン色のワンピース。

だが、今彼女が着ているのは鮮やかな青のブラウスと黒いサブリナパンツだ。

「だって、今日は風強いでしょ。確かにあの服はお気に入りだけど、あんなの着たらスカートがめくれちゃうわ」

「そうか? そうでもないだろ」

アスカは加持の表情に少しだけ不審を覚える。

(まさか……見たいの? 私のスカートの中を?)

アスカに自覚は無いが、彼女は『前史』ほど、加持を慕ってはいない。

一時期はその外面の良さに惹かれたものの、軽薄な言動と、何よりいつも瞳の奥に見える何かを探るような光。

アスカはその目を信用できなかった。

「……無様なまねはできないわ」

「……そうかい」

加持の声は少しだけ残念そうに響いた。




○○○




上を見れば抜けるように青い空が広がっており、下を見れば深い群青の海が広がっている。

そんな一面の“青”の中にぽつんと存在する染み。

バラバラという駆動音を発するそれ――ミル55d輸送ヘリはシンジたちを乗せて、弐号機の輸送を行っている国連軍太平洋艦隊を目指して飛行を続けていた。

表向きの目的は弐号機の受領と万が一の備えとしての電源ソケットの輸送。

しかし、窓の外を見つめるシンジと手元の資料を見つめるリツコ、そしてぼんやりとした表情を浮かべるアセリアは真の目的を知っている。

第六使徒への備えだ。彼らは“万が一”が100%起こることを知っている。

そんな彼らのほかにもヘリの中には三人の人影がある。

「いや〜しかし、豪勢な足やのう」

「ホントに良かったんですか? 私たちまでついてきちゃって……」

そのうちの二人は窓の外を見ながら感嘆のため息を漏らす、いつもどおりジャージ姿のトウジとすまなさそうな様子のヒカリ。彼女は白いシャツとジーンズという出で立ちだ。

「い〜のい〜の! いつも箱根の山ん中じゃ息が詰まるでしょ? たまにはこういうのもい〜でしょ」

最後の一人はヒカリに対して能天気な笑顔を浮かべるミサトだ。

結局彼女は無理矢理ついてきたのだった。

そんなミサトにトウジとヒカリは気のない視線を向けるのだが、ミサトは気付かない。

トウジは妙齢の美女であるミサトに鼻息を荒くしていたのだが、リツコやシンジ・ユウトコンビにやり込められる考えのなさやあからさまにシンジたちを嫌う態度の悪さ、さらには比較対象としてまともな大人であるリツコがいたために、早々にミサトに愛想をつかした。ヒカリもユーフォリアやシンジを悪し様に言うミサトに好感を持てるはずもなかった。

そんな三人の様子を見ながら、

「「はぁ」」

シンジとリツコの二人がため息をつく。頭を抱える仕草もシンクロする。

彼らは使徒が来ることがわかっているため民間人である二人を連れて行くつもりなどなかったのだが、高嶺邸に遊びに来ていた二人をシンジを迎えに来たリツコの車に便乗していたミサトが無理矢理連れ出したのだった。

ちなみに、レイも連れて行こうとしたのだが、リツコとユウトに「本部にエヴァのパイロットを一人も残さないつもりか!?」と詰め寄られ、渋々置いてきた。

ユウトやユーフォリア(ホントはアセリアとシンジも)は始めから置いていくつもりだったらしい。理由は「一般人が来ていい場所じゃないのよ!」だそうだ。トウジとヒカリはいいのだろうか?

むしろシンジたちの方こそNERVの協力者で、純粋な一般人とはいえないのだが。

シンジたちもともとのメンバーにしてみれば、使徒が来ると表立って言うわけにもいかず、ミサトが持ち前の偽善で「セカンドにも同世代の友人は多いほうがいいでしょ」と言われては反論することができなかった。


「見えてきたわね」

呟くミサトが見る先には、遠く広がる海にいくつかの黒い点がある。

最初はゴマ粒のようだったそれらは、やがて大きくなり、

「おお〜、でっかいの〜」

巨大な艦船となってその姿を現した。

その十数隻のうち、一際大きな船体を持つ船こそ国連軍太平洋艦隊旗艦空母オーバー・ザ・レインボウである。

「セカンドインパクト前の老朽艦が良く浮いてられるわね〜」

などと軽い口調で話すミサトを見て、シンジとリツコの二人は再びため息をつき、アセリアは眉をしかめる。

「……あによ」

それに気付いたミサトが三人を、特にシンジを睨む。

「……いいですか、葛城作戦部長。NERVは艦隊に頼んで、弐号機を輸送してもらっている・・・・・・・・んです。着いた先でそんなこと言おうものなら、海に放り出されますよ?」

「何言ってんのよ! 使徒戦で役に立ってない国連軍に仕事させてやってるだけましってモンでしょ!?」

反省した様子の無いミサトに、今度はリツコが、

「ミサト? これは本来私の仕事なの。貴方は無理矢理ついてきただけ。それを忘れないでちょうだい」

それとも、邪魔するつもり? と素敵な笑顔で微笑むリツコ。

「何よ! エヴァは作戦部の……」

「平時のエヴァの運用に関しては技術部の管轄よ。自分の職分をわきまえなさい、葛城一尉」

「く……分かりましたよ、赤木技術二佐殿!」

全然分かっていないっぽいミサトの物言いだったが、とりあえずリツコはそれで済ませることにしたのだった。




○○○




オーバー・ザ・レインボウの甲板にあるヘリポートに着艦した輸送ヘリから、最初に飛び出したのはミサトだった。

そこに、

「Hello! ミサト、元気してた?」

と声がかかる。

ミサトが振り返る先に居るのは、青いブラウスと黒い七分丈のパンツに身を包んだ金髪の少女。

「まぁね。貴方も背、伸びたんじゃない?」

「貴方がセカンドチルドレンの惣流・アスカ・ラングレーさんね。はじめまして、NERV本部技術部の責任者赤木リツコ技術二佐です。よろしく」

答えるミサトの後ろからリツコが挨拶をしながら進み出て、握手を求める。

「はじめまして、Dr.赤木。私のことはアスカでいいわ」

その手を握り返しながら答えるアスカに、

「私もリツコでいいわよ」

と微笑みながら言った。

「で、サードが来てるんでしょ? どの子?」

アスカは大人二人の後に続いて出てきた、自分と同世代と思わしき四人を見やる。

一人はぼさぼさの髪にジャージというセンスの欠片も感じられない少年。

一人は白いシャツとジーンズという格好の少女。お下げとそばかすがチャーミングだ。

一人は白いワンピースを着た自分よりも少し年上に見える少女。風は強いがスカートの丈が長いせいか、その中をさらすことにはなっていない。青い髪に青い瞳という不思議な外見だが、その顔は美人といって差し支えないものだ。

そして最後の一人。学生服に身を包んだ少年。黒髪と黒い瞳はそれらが普通の日本人の中にあってなお黒く、繊細な面立ちはいっそ女性的ともいえる。

その姿は、二年前に別れた一人の少年を思い出させて――――



「って、あああーーーーーーーーーーーーーー!!」



最後の一人――シンジを目にした瞬間、彼女は指をさして大声を上げた。

ミサト、リツコ、トウジ、ヒカリの四人がびっくりした顔をアスカに向け、甲板の兵士たちも何事か、とこちらに注目する。

アセリアもユウトたちが見れば分かる程度に表情を動かして、アスカに目を向ける。

そんな中、シンジは一人動じず、

「や、久しぶり」

しゅたっ、と手を上げて微笑んだ。

「し、シンジ!? 何であんたがここにいるの!?」

「アスカさん、シンジ君と知り合いなの?」

問いかけるリツコに、

「二年ほど前にドイツで」

とシンジが答えた。

「も、もも、もしかして初号機のパイロットって……」

「うん、僕だよ」

「うそーーーー!?」

アスカの悲鳴が青空の下に響いた。




○○○




そのころの碇邸。

「シンジって留学までしてたんですか!?」

碇邸、ゲンイチロウの私室に素っ頓狂なユイの声が響いた。

「うむ……と言っても、大学には通っておったが、目的は勉学ではなくての、ほら何といったかな……お前の友達の娘さん……」

「アスカちゃんですか?」

「そうそう、そのアスカちゃんに会うのが目的だったようじゃ」

「まぁ! それじゃあ、シンジったらアスカちゃんのことを?」

と何か勘違いをして目をきらきらさせ始めるユイだったが、

「いや、違う」

というゲンイチロウの低い声で黙り込む。

「アスカちゃんも、エヴァのパイロットなのじゃよ」

「ええ、聞いています。キョウコのことも」

真剣な父親の言葉に、ユイも居住まいを正して答える。

「うむ……シンジは助けたかったのじゃよ……レイちゃんも、アスカちゃんも……身勝手な者たちのエゴによって、人生を狂わされ、不幸になってしまう者たちをな……」

そしてユイの顔をじっと見つめ、

「お前の息子は本当にできた男じゃ……わしはあの子を本当に誇りに思う」

お前にこうしてまた会えたしの、と万感の思いをこめてそう言う。

「ええ、私もですわ」

ユイもそれに微笑みで答える。

「では、今頃はアスカちゃんと再会しているころですわね」

「うむ、そうじゃの」

答えながらゲンイチロウは思う。

願わくば、

「子供たちに幸せな未来のあらんことを……」

「ええ……」




○○○




「「はっくしゅん!」」

シンジとアスカが同時にくしゃみをする。

「二人とも仲がいいのね」

とはヒカリの談だ。すでにその言葉には遠慮がない。

「ん……仲が良いのは良いことだ」

「誰か噂しとんのとちゃうか?」

何処かずれたことを言うアセリアと茶化すように言って笑うトウジ。

「うるさいわよ! ジャージマン!!」

「なんやと!? 誰がジャージマンじゃ!」

「あんたに決まってんでしょ! 何よそのだっさいジャージは!」

「ジャージのどこが悪いっちゅうんじゃ!?」

「まぁまぁ、二人とも。仲良くね」

喧嘩腰になる二人をシンジは仲裁する。

本人たちから見れば真剣かもしれないが、傍から見れば子供たちがじゃれあっているようにしか見えない。

シンジを仲介することで早速子供たちは打ち解けたらしかった。

特にヒカリとはすでに名前で呼び合っている。やはり、もともと二人は気が合うのだろう。

トウジに対しては「ジャージ」としか認識していないようだが。もうしばらくすると、そこに「ヒカリの想い人」という認識が加わるのだが、それは余談。

アセリアも無口無表情に見えるものの、話しかければ反応は返ってくるしその表情もわずかではあるが動く。

さらに言えば、ただぼんやりと立っているだけにもかかわらずアセリアには隙がない。

かなりの訓練を積んだアスカから見ても、その実力が計り知れない。

同じことはシンジにも言えるのだが、彼の底が知れないのは二年前に別れるまでの一年間でよく知っている。

内心で、

(変わった人ね)

などと思いながらも、シンジが信頼している様子を見て、興味を覚えていた。

子供たちが打ち解けている間に、シンジたち一行にアスカを加えた七人の大所帯は、オーバー・ザ・レインボウの艦橋へと案内されていた。

「しっかし、センセの知り合いは美人ばっかりやの〜」

高嶺(ユーフォリアのことであろう)に、アセリアはんに、カオリはん、リツコはん、一応ミサトはんもかと指折り数えるトウジ。

「アンタ……そんなに女の知り合い多いわけ?」

それを聞いたアスカが半目で睨んでくるが、

「い、いや、誤解だよ……って言うか、何で怒られないといけないの!?」

「うっさい!」


などと子供たちが騒いでいる一方で、

「ふむ。海水浴に来たボーイスカウトの引率のお姉さん方かと思ったが、どうやら違うようだな」

ミサトとリツコは艦隊提督と相対していた。

「お分かりいただけたようで何よりです」

「恐縮ですわ。この度は輸送援助のご協力感謝いたします」

ミサト・リツコの大人組が英語で話をする。が、ミサトの言葉からは端々に嘲るような態度が見え隠れする。

「こちらが非常用電源ソケットの仕様書です」

そんなミサトを目線でけん制しながら資料を渡すリツコだが、受け取った提督はすぐに横に立っていた副官に渡す。

「大体海の上であの人形を動かすなんて聞いとらんぞ?」

「分かっておりますわ。あくまで非常時に対する備え、とお考えください」

「その非常時に備えて我々太平洋艦隊がついているのだが?」

「もちろん承知していますわ……ですが、私どもが相手にしているモノはそれほどまでの脅威なのです。電源ソケットの配置だけでもご許可願えないでしょうか?」

ジロリ、とリツコを見つめる提督だが、ひるむ事無く見返すリツコ。

「……良かろう。だが、海の上は我々の管轄だ。港に着くまでは指示に従ってもらう」

「ちょっと……」

「ええ、分かっております。感謝いたしますわ」

「リツコ!?」

文句を言おうとしたミサトだったが、それより早く答えたリツコを睨む。

「言ったでしょう、葛城一尉? 私の仕事の邪魔をしないで頂戴!」

しかし、リツコはぴしゃりとミサトを黙らせると、

「それでは失礼いたします」

一礼して踵を返すと、

「ほら、貴方たち、行くわよ」

と、子供たちをつれて艦橋を後にしようとした時だった。


「よう、お二人さん! 久しぶりだな」


突然響いたその声に、全員の目がブリッジのドアに集中する。

そこにいるのはよれよれのシャツを着た無精ひげの男。後ろ髪を長く伸ばし、後ろで結んでいる。

「加持先輩」

名を呼んだのはアスカだったが、

「な、な、な、なんであんたがいんのよーー!?」

大声を上げたのはミサトだった。

その大声に、ブリッジ要員とトウジ、ヒカリ、アセリアの目が集中し、

「「はぁ」」

またしてもシンジとリツコのため息がシンクロする。

そして、

「加持君! 君をブリッジに招待した覚えはない!! 君たちもだ! 用が済んだならさっさと出て行ってもらいたい!!」

青筋を浮かべた提督が怒鳴る。

「おおっと、こりゃ失礼」

おどける加持と怒鳴り返そうとしたミサトをリツコはにらみで黙らせると、

「ご迷惑をおかけして申し訳ございません」

深々と頭を下げる。

そして、

「ほら、早く行くわよ!」

と、ミサトを急かし、最後に再び提督に頭を下げてからブリッジを後にした。


Shitくそ! 全くいい気なもんだ! 子供が世界を救うというのか!?」

それを見送りながら提督がこぼす。

「時代が変わったのでしょう。委員会もあのロボットに期待していると聞きます」

副長の視線の向かう先には輸送船オセローがある。正確には今は布に覆われて見えない巨大な紅い人形を見ているのだろう。

「あんな玩具にか!? 子供を戦わせるために使うくらいなら、こっちに回せばいいんだ!」

副官の言葉に怒りをあらわにする提督。

そもそも叩き上げの軍人である彼にとって「巨大人型兵器」など眉唾物だ。現実はアニメではない。

そしてそれよりも、彼は子供を戦わせているという事に深い怒りを抱いていた。

彼ら軍人という職業は護るべきモノがあってはじめて存在しうるものだ。

護るべきモノが脅威にさらされた時、命を懸けてその脅威と戦うからこそ、軍人に対して人は敬意をはらうし、国家は莫大な予算をつぎ込むのだから。

そして、子供とは本来護るべきモノの中でも最たるモノなのだ。

「子供に護られるようなことになるとはな……長生きはするもんじゃない」

「まだそんなお年ではないでしょう?」

覇気のない会話をする二人だった。




○○○




「今、付き合ってる奴……いるの?」

「あああ、貴方に関係あるの?」

食堂に降り、テーブルに着いた一行だったが、その目は加持とミサトのやり取りに集中していた。

「つれないねぇ……寝相が悪いのもかわってないのかな?」

「な、何言ってんのよ!!」

にやけた表情の加持にミサトが翻弄されるやり取りがさっきから続いている。

「……悪夢よ…悪夢だわ……」

頭を抱えてぶつぶつと呟くミサト。

「悪ふざけなら止めておきなさい」

そんな二人を止めたのは、リツコの一言だった。

「どうしたんだい、りっちゃん? 怖い顔して」

おどける加持だが、

「ミサトを支えきるつもりがないのなら、それ以上はやめるべきね」

そのほうが二人のためよ、というリツコの言葉に加持は黙る。

「りっちゃん?」

「なんでもないわ」

訝しげな加持の問いに頭を振ってそう答えた。

「んんっ! え〜碇シンジ君?」

「なんですか?」

話題を変えようとするのが見え見えの加持の問いかけだったが、シンジは特に気にする事無く答えた。

「あれ? 驚かないのかい? 初対面の人間が名前を知ってても」

「僕が会ったことのあるNERVの人たちは、全員はじめから僕の名前を知ってましたよ。そのくせ、自分から自己紹介してくれることってほとんど無いんですよね」

失礼だとは思いませんか? と言ってシンジは少しだけ加持をにらむ。

「ははっ! こりゃ手厳しい……俺は加持リョウジ。アスカのガード兼世話係。まぁ、言ってみれば、お姫様のお付だな」

無表情なシンジを、加持は気にしたふうも無く笑って答えた。

「ところで、シンジ君はアスカと知り合いなのかい?」

「ええ、以前一年ほどドイツに留学したことがありまして……」

「「ええ!?」」

その答えに反応したのはヒカリ、トウジの二人。

リツコも驚いた顔をしているが、

(今更ね……)

と、シンジに関することで驚くのには慣れてしまっている。

「センセ、留学なんぞしとったんかい」

「すごい……」

「どこか、大学も卒業しているのかい?」

という加持の問いに、

「え、ええ、まあ……ドイツのじゃないですけど、アメリカの大学を通信教育で……」

と答える。

四年前、碇本家に身を寄せてから、シンジはユウトたちに戦闘術の手ほどきを受けると同時に、次期当主としての(シンジ本人は継ぐつもりは無いのだが)英才教育を施されている。

その一環として、大学も卒業しているのである。

元々シンジの母親は東方の三賢者の一角を担ったユイであるし、遺伝子上の父親であるゲンドウにしても優秀な科学者である。

その遺伝子はしっかりと子に受け継がれており、やる気を出したシンジはその才能を開花させ、ためしに受けた大学入試に合格、中学に入るまでに卒業するに至ったのであった。

もっとも、日本には飛び級スキップの制度がないため、海外の大学になったのだが。

そして、「大学に行けるんならアスカに会いに行こう」と思い立ったシンジはドイツへ留学することになったのであった。

「そいつはすごいなぁ」

と、全然すごくなさそうな口調で加持は言った。

「でも、アスカだって大学は出てるでしょう?」

「そうなの!?」

またしても素っ頓狂な声を上げるヒカリ。

「あんまり大したことじゃないわよ」

「十分大したことだと思うわ」

自慢するでもなく答えたアスカ。

自分と同等の学力を持ちながらもそれを鼻にかけないシンジに会ったせいか、単純な「大学卒業」という学歴だけを誇る気にはなれないのだ。

確かに、自分の才能もそれを磨いた努力もその結果としての大学卒業という学歴も誇るべきものだとアスカは思っている。だが、ただ学歴だけを競い、誇ることに意味は見出せない。

「ありがとう」

だが、ヒカリの感心した様子に悪い気はしないので、微笑んで礼を言う。

「エヴァってのは、頭いい奴しか乗れんのかい」

「そんなことは無いわ。この二人がすごいのよ」

トウジの呆れたような問いにはリツコが答えた。

「まぁいいわ……シンジ、ちょっと付き合いなさい」

このままではただの学歴自慢になると感じたアスカはシンジにそう声をかける。

「いいけど、どこに?」

「弐号機を見せてあげるわ」

そう言って身を翻すと、美しい金髪がマントのように広がった。


ちなみに、ミサトは未だにぶつぶつと呟いていた。

「…悪夢よ……そう、これは夢、夢なのよ……」