第十四話


「弐号機は赤いんだね」

「違うのはカラーリングだけじゃないのよ」

シンジをつれたアスカはエヴァ弐号機を載せている輸送船オセローへとやってきていた。

ヒカリやトウジには機密ということで遠慮してもらうこととなった。

かわりにリツコに案内されてオーバー・ザ・レインボウの艦内を見学しているはずである。アセリアもそちらに付き合っている。

冷却用のLCLにひたされた弐号機の背中――ちょうどエントリープラグの挿入口の上に陣取ってシンジを見下ろしながら言う。

「まぁ、確かにろくに調整もされてない実験機に乗っていきなりシンクロしたアンタはすごいと思うけど」

ドイツに赴き、アスカとの絆を結んだからこその言葉に、シンジは少しだけ苦笑する。

(『前史』とはすごい違いだな……)

『前史』では“一番”であることに執着し、負けることを忌避し、自分以外のエヴァパイロット――シンジやレイのことを認めることができなかったアスカ。

しかし『今回』は弐号機にこだわる様子はあるものの、シンジを認める発言をしている。

アスカはドイツ支部によって――ひいてはSEELEによって、精神誘導を受けている。エヴァや“一番”にこだわるのもそれが原因だ。そうして生贄をエヴァから離れられないようにすると共に、依り代としての脆弱な心を植えつけられていた。

だが、わずかながらではあるもののシンジとの触れ合いと言葉は、確実にアスカの心を癒していた。

「この弐号機こそが、実戦用に造られた世界初! 本物のエヴァンゲリオンなんだから! 制式タイプのね!」

激情を秘めた、真っ直ぐな、でも不安定な心。

身勝手な大人のエゴでその心が砕かれることなどあってはならない。

頭に浮かぶのは、心を汚され虚ろな目を浮かべるアスカ。赤い海のほとりで静かに息絶えたアスカ。

(『今回』はアスカを絶対、あんなことにはさせない!)

得意げに微笑むアスカを見ながらシンジは決意を新たにした。




○○○




暗い暗い海の底。

そこは“彼”の棲家にして、最も得意とする戦場。

“彼”が希薄ながらも意思と呼べるモノを得たのはつい先ほど。


――還リタイ――


そして“彼”は気付く。

“彼”が最も求める波動が、すぐそばにあることに。


――還リタイ――


“彼”と“彼”の分身たちが求める、“彼”らの元となった存在。

欠片に過ぎない“彼”は元なる存在と一つになりたいのだ。


――還リタイ――


“彼”はその希薄な自我に逡巡も躊躇も浮かべる事無く、真っ直ぐにその波動に向けて移動を開始した。




○○○




大きな揺れが船全体を襲った。

(来たか!)

「何!? 水中衝撃波!? 爆発が近い……って」

不安定な足場に立っていたアスカが大きな揺れによってその足を踏み外す。

「危ない!」

「っきゃああぁあ!!」

自身を襲うであろう激しい痛みを思ってぎゅっと目をつぶるアスカ。

だが、一向にそれは襲ってこず、

「アレ?」

「大丈夫?」

目を開けたアスカの視界に飛び込んできたのは至近距離で微笑むシンジの顔。

どうやら受け止めてくれたらしい。

「あ、ありがとう」

その顔をポカンと見つめたまま素直に礼を言う。

数秒の間呆けていたアスカだったが、徐々に頭が活動を再開すると共に、自身の状態に気付く。

シンジに肩と膝の下に手を回した横抱き――いわゆるお姫様抱っこ、という奴をされている。

それに気付いたアスカは見る見るうちに顔を真っ赤に染めて、

「お、おろして! もう大丈夫だからおろして!!」

ジタバタと暴れる。

「わ、分かったから!」

シンジはアスカをおろすと、

「何かあったみたいだね」

と声をかけ、それにアスカもはっとする。

二人は外へと駆け出し、甲板の手すりから身を乗り出す。

二人の視界の中、海を切り裂いて泳ぐ魚のようなモノが見える。

だが、明らかに魚ではない。

周囲の戦艦と同じかそれ以上の体躯を持ち、周囲の戦艦を明らかに上回るスピードと旋回性で艦隊の周囲を泳ぎ回っている。

第六の使徒「魚を司る天使」ガギエル。

「使徒」

「使徒!? アレが……本物の」

呟くシンジにかぶさるようにアスカが叫ぶ。

「とにかく弐号機を起動させないと!」

「わかったわ!」

(あとは、どうにかして僕も一緒に乗らないと……)

とシンジが考えていると、

「アンタも来なさい」

というアスカの声がかかった。

「え?」

「“え?”じゃないわよ! 私の華麗な操縦を特等席で見せてあげるって言ってるの!」

「わ、わかった」

(とりあえず……結果オーライ?)

などと考えながら、根っこのところは変わらないなぁ、などと苦笑をもらすシンジだった。



エントリープラグの中、二人は赤いおそろいのプラグスーツ姿だった。

シンジは第六使徒が来ることは分かっていたので、自分のプラグスーツを用意していたのだが、うっかりヘリの中に忘れてしまい、結局今回もアスカのプラグスーツを着る羽目になった。

変なところで抜けている少年である。

「LCL Fullung」

アスカが起動シークエンスを進めていく。

「Anfang der Bewegung.Anfang des Nerven anschlusses.Ausloses von links-Kleidung.Sinklo-start」

思考言語はドイツ語だがドイツに留学していたこともある今のシンジには問題ない。

ゆっくりと赤い巨人の四つの目に光が灯る。




○○○




一方、オーバー・ザ・レインボウのブリッジ。

「状況を報告しろ!」

「一体何が起こっているんだ……」

マイクに叫ぶ副官と、椅子に座って外を眺めたまま呆然と呟く提督。

「ちわ〜NERVっすけどぉ、見えない敵の正体と適切な対処はいかがっすかぁ?」

とブリッジの扉の向こうから馬鹿にした声が響く。

食堂でぶつぶつ言っていたはずのミサトだ。

ちなみに英語だ。腐っても最高学府を出ただけのことはあるらしい。

「今は戦闘中だ! 許可の無い人間は出て行ってもらおう」

「私見ですが、これはど〜見ても使徒の攻撃っすねぇ」

「全艦任意に砲撃!」

ミサトの言葉を無視して提督は命令を下す。

「無駄なことを」

ミサトがぽつりと呟いた瞬間だった。

「提督!」

駆け込んできたリツコが叫ぶ。

「弐号機起動の許可をください!」

「む?」

これに激昂したのはミサトだ。

掴みかかるように叫ぶ。

「何言ってんのよリツコ! 非常時はNERVの指揮権のほうが優先でしょ!?」

そこまで言って提督に向き直ると、

「さっさと指揮権をよこしなさいよ! 使徒は私の指揮じゃないと倒せないんだから!!」

頭に血が上ったまま日本語でそう言い放つと、提督の手から連絡用のマイクを取り上げようと掴みかかる。

「な、何をする!? 離せ!!」

「いいからよこしなさい!」

もみ合う二人。

だが、

「お願いするわ、アセリアさん」

「ん」

リツコと一緒にやってきたアセリアがもみ合っているミサトの背後に近付き、

「ぎゃう!」

その首筋に手刀を落とした。

そのまま昏倒するミサト。

第四使徒戦前を思い出させる光景だった。

「い、いいのかね?」

「わめくだけなら邪魔ですわ」

むしろ心配そうに聞いてくる提督に無表情にそう答え、私のほうが階級は上です、と続けた。

そして改めて提督に頭を下げるリツコ。

「アスカたちはオセローにいました。おそらく弐号機を起動させるでしょう。どうかご許可を。使徒殲滅にご協力ください」

同時に、

『オセローより入電! エヴァ弐号機、起動しています!』

「む、しかし……」

「お願いします! 詳しいことは機密になるため申せませんが、使徒に対し通常兵器はほとんど効果が期待できないのです。唯一有効な兵器はエヴァだけなのです」

真摯に頼み続けるリツコ。

と、

『提督』

スピーカーから少年の声が響いた。




○○○




起動すると同時に電装系にも電力が回り、スピーカーからブリッジの喧騒が聞こえてくる。

どうやら、リツコが提督にエヴァの使用を許してもらおうとしているらしい。

「提督」

それを聞いていたシンジは、オーバー・ザ・レインボウへと通信をつなぐ。

『何かね?』

「事後承諾になって申しわけありませんが、僕からもお願いします。エヴァによる使徒殲滅に協力してください」

「ちょっと、勝手に操作しないでよ」

アスカが文句を言うが目線で黙らせる。

『アスカ? シンジ君も乗っているの?』

リツコの言葉に、ええと頷きながら、

「このままでは艦隊が全滅してしまいます」

『しかし、君たちは子供だ。子供を護るのが我々軍人の……』

「提督」

シンジは皆まで言わせなかった。

「僕は確かに子供ですが、覚悟を持って戦いに臨んでいます。提督や艦隊の方々と同じなどと、おこがましいことを言うつもりはありませんが……」

一瞬迷うが、シンジは言い切った。

「大事なモノを護るために戦う、一人前の戦士のつもりです」

それは宣誓だった。

数秒の沈黙の後、提督はゆっくりとその口を開いた。

『……わかった。本艦をオセローに近づける。こちらに移りたまえ。足場にはなる。電源ソケットも用意させる』

「ありがとうございます!」

『頼む』

それだけ言い残して通信は切れた。

「…………」

シンジの顔をじっと見つめるアスカ。

「……何?」

「! な、なんでもないわ!!」

あわててアスカは目をそらす。

だが、少しだけ微笑む。

この少年は自分の味方なのだ。

決意をこめたシンジの表情は、少女の目にも好ましく映った。

「かっこつけちゃって」

その微笑みと呟きにシンジは気付かなかった。




○○○




アスカは弐号機を近付いてきたオーバー・ザ・レインボウに飛び移らせると、甲板に準備してあった電源ケーブルを背中のプラグに差し込む。

「アンビリカルケーブル接続!」

同時にプラグ内に表示されていた残り稼働時間を示すタイマーが「8:88:88」に変わる。

「来るよ。左舷九時方向」

「分かってるわ」

シンジの声に応えたアスカはカッターナイフ状の弐号機のプログナイフを装備する。

「いつでも来なさいってのよ!」

一方シンジは、

(『福音』どう? 干渉できそう?)

(……難しいですね。少なくとも彼女が居ては)

こっそりとアスカから見えない位置に顕現させた紫の直刀と意思を交わしていた。

どうにか弐号機に干渉できないかと考えていたが、アスカの意思が弐号機を満たしている現状では難しいようだ。

(そうか。今回はしょうがないね。でも補助はできるだろ? オーラとか)

(ええ。直接機体を動かすことはできませんが、補助系の魔法なら)

と頷きあっているうちに、

「来た!」

アスカが叫ぶ。

同時に、使徒がその巨体を現す。

「やっぱりでかい!」

“大きさ”はそれだけで一種の凶器だ。

動物で言えば体格の差はそのまま筋力の差につながるし、もっと極端に言えばアリはゾウに勝てない。

かなりのスピードのままガギエルは弐号機へと突っ込んでくる。

「受け止めちゃだめだ!」

「え!?」

「あんなでっかいの受け止めて甲板に乗せたら艦が沈んじゃうよ!」

「無茶言うわね!」

アスカが叫ぶと同時、ガギエルが弐号機に体当たりしようと海面を跳ねる。

「でぇい!」

それをかわしざまプログナイフを突き立てる。

ガギエルは体当たりの勢いのままナイフによって切り裂かれ、そのまま海中へ沈む。

「やったの?」

「いや、まだだ……ブリッジ!」

アスカの呟きに答えを返しながら呼びかける。

『何だ?』

「そちらで目標の体に紅い球状の器官が確認できましたか?」

『いや』

『コアね。こちらでは確認できなかったわ』

提督とリツコの答えが返ってくる。

「コア?」

「使徒の弱点」

『前史』ではガギエルのコアは口の中にあったはず。

(コアの場所はつかめた?)

(一瞬でしたから確証はありませんが、体のちょうど中央――おそらく口の中)

(そうか……なら)

「アスカ?」

「何よ?」

「たぶんコアは口の中だ」

「口の中ぁ?」

びっくりした声をあげるアスカ。

「体の表面には無いみたいだし、さっきチラッとだけど紅いモノが見えた」

「んで、どうしろってぇのよ」

「……口の中に突っ込む」

「はぁ!?」

シンジの言葉にアスカは素っ頓狂な声を出すが、その真剣な目を見て、

「……本気?」

と聞く。

シンジは黙って頷いた。

弐号機はB型装備のまま。もし海中に落ちれば終わりだ。さらにこちらの足場はオーバー・ザ・レインボウの甲板のみ。ここは完全に相手のフィールドなのだ。

「……やるしかないか」

無茶をせずに勝つのは難しい。虎穴に入らずんば虎児を得ず。

「ごめんね、無理させて……何なら代わっても……」

「馬鹿言わないで!」

思わずシンジが言いかけた言葉を、アスカは怒気をはらんだ声で制止する。

「ごめん。今のは侮辱に等しい言葉だった」

シンジは素直に謝る。

「いいから、あんたも意識を集中させなさい! 足引っ張るんじゃないわよ!?」

その言葉に少しだけ苦笑して、しかし、すぐに表情を引き締め、

「分かった」

と答える。




○○○




「何処だ?」

「見えない」

二人で死角を補うように周囲を見回すが、海面は静かだ。

「ブリッジ?」

『目標は海底を旋回中だ』

『おそらく、さっき受けた傷を修復しているのよ』

最後まで聞かなくとも、提督とリツコが欲しい情報をくれる。

『! 動きが変わりました!』

『また来るぞ!』

おそらくはレーダー担当のブリッジ要員であろう声と提督の声が聞こえた。

「「了解!」」

それに声をそろえて答える。

『前方一時の方向より目標接近! 深度変わりません!』

黙って前を見つめる二人。

静かに緊張感が高まる。

『……!? 目標、本艦の直下で停止! いえ、浮上してきます!』

『この艦ごと喰うつもりか!?』

提督の声に、

「いけない! すぐに避けるんだ!」

『分かっている! 回避運動! 取り舵!』

移動を続けていた空母の動きに左向きのベクトルが加わる。

「アスカ! 右だ!」

「分かってるわよ!」

回避運動を取った艦の右舷から、まるでロケットのような勢いでガギエルがその巨体を現す。

大きい。その大きさは今弐号機が足場としているオーバー・ザ・レインボウに迫るほどだ。

『な……!?』

スピーカーからブリッジの驚愕が聞こえる。

勢いそのままに空中にその身を投げ出したガギエルは、そのまま反転。体の半分はあろうかという巨大な口をあけて、

「上か!」

そのまま降ってくる。

「アスカ、ジャンプ!」

「分かった!」

対する弐号機も巨大な魚へ向けて跳躍する。

(『福音』! インスパイア!)

(分かっています!)

シンジと『福音』の意思が周囲のマナに作用し、攻撃力を増す効果を持った“鼓舞”のオーラへと変わる。

「はあああぁ!!」

(オーラフォトンをナイフへ!)

(はい!)

気合を入れるアスカにあわせるように、シンジたちもナイフに力を集める。

「やああぁああ!!!」

オーラによって力を増した弐号機は、開かれた顎が閉じるよりも早く、オーラフォトンを纏ったプログナイフをガギエルのコアへと突き立てた。

((ブレイク!))

同時にそのオーラフォトンを爆裂させ、コアを砕く。

(『福音』)

(コアへ干渉……神剣アダムの欠片を回収)

そして、いつものように砕けたコアから一筋の金色の光を回収する。

その一瞬後、ガギエルの体が金色の光の粒子に変わって霧散する。

「……綺麗………」

見とれるように呟きながらも、アスカはできる限り衝撃を与えないように静かに着地する。

「命の、最後の煌きだからね」

少女の言葉にシンジはそう返した。




○○○




「やれやれ……逃げそびれちまった」

荷物をまとめ、逃げる気満々でいた加持だったが、逃げるよりも早く戦闘が終わってしまった。

「さすがはアスカ……と言うべきなのか」

加持は弐号機にシンジが乗っていることを知らなかった。

「しかし、とりあえず任務は問題ないか……」

彼の仕事は表向きはアスカの護衛だが、もう一つのより重要な仕事があった。

(最初の人間……ね)

見つめる先には一つのケース。

それを本部に運ぶことが彼の本当の仕事だった。




○○○




それから二時間後、艦隊は無事新横須賀港へとたどり着いた。

「ご苦労だった。君たちの協力に感謝する」

船から下りるタラップの上で提督とリツコが言葉を交わす。

「いえ、ご協力いただいたのはこちらですわ。それに……」

と、後ろを示し、

「お礼なら、彼らに言ってあげてください」

「うむ、そうだな」

リツコの後ろに立っているのは、プラグスーツからもと着ていた服に着替えたシンジとアスカ。

提督は二人に向き直ると、

「本当に感謝している」

そう言って頭を下げた。

アスカは当然といった顔でそれを受けるが、シンジはあわてる。

「そんな、頭を上げてください!」

その言葉に提督は頭を上げて、

「私が保証しよう。君は一人前の戦士だ」

そう告げた。

シンジは一瞬驚いた顔をしたが、すぐに笑顔になる。

「ありがとうございます」

提督はうむ、と頷くと姿勢をただし、

「全員整列!」

号令を下す。

その声に従って、オーバー・ザ・レインボウの甲板にクルーが集結する。

そして、

「艦隊の危機を救った若き戦士たちに――敬礼ッ!!」

ザッと音を立てて一斉に敬礼する乗組員たち。

それを見たシンジとアスカは顔を見合わせ、

「アスカ」

「分かってるわよ」

頷きあうと、その顔に笑顔を浮かべて不器用な敬礼を返した。




○○○




「いやはや……波乱に満ちた船旅でしたよ」

「……何故逃げなかった?」

「逃げる暇も無く終わってましたからね」

暗い空間に二人分の声が響く。

一つは重く、もう一つは軽く響く。

だが、そのどちらもが感情を感じさせない。

「やはり、これのせいですかね」

軽く響く声の持ち主――加持リョウジは、そう言って手に持ったトランクを示す。

「すでにここまで復元されています……硬化ベークライトで固めてありますが……」

言いながらトランクを机に載せ、厳重に施された封印を解く。

空気の抜ける音をさせながらトランクが開く。その中には――

「間違いなく生きています」

赤い半透明の樹脂に包まれたモノがあった。

剥き出しの眼球と大きな頭部。胎生初期の胎児を思わせるが、それとはまったく別のモノ。

ベークライトに刻まれたナンバーは「SAMPLE A-01 ADAM」

「人類補完計画の要ですか?」

「そうだ」

どこか興奮したような響きの混じる二人の声。

「最初の人間――アダムだよ」

重々しく、ゲンドウが告げる。

ベークライトの中で応えるようにアダムと呼ばれたモノが“ぎょろり”と眼球を動かした。




○○○




「波乱に満ちた船旅でしたよ」

「そうか」

高嶺邸の一室。

明るい室内には帰って来たばかりのシンジとアセリア、そしてユウトの姿がある。

「とりあえず、ガギエルは倒したんだな」

「ん」

「ええ」

と、何でもないように話す。

「んで……アダムは?」

少しだけ声を潜めてユウトが尋ねる。

その問いにアセリアとシンジは顔を見合わせ、

「在りました……正確な場所までは分かりませんでしたけど」

「多分……『前史』と同じ……あの男」

と頷いた。

「しかし、良かったのか? 何にもしなくて?」

シンジたちには確かに力があるが、姿を消したり瞬間移動できたりするわけではない。

アダムを奪取することも不可能ではないだろうが、SEELEやゲンドウに怪しまれることになるだろう。

それに、

「キーとなるモノをある程度持たせとかないと暴走しますよ」

ゲンドウの計画のキーとなるのは初号機、レイ=リリス、ロンギヌスの槍、そしてアダム。

公式にレイと縁が切れ、鍵の一つが手元に無い(失っているが気付いていない)ゲンドウに計画の破綻を気づかせないための手段として、アダムには手出ししないことにしたのだった。

「それに、アレが意味を持つのは全ての使徒を倒してからですから」

アダム単体の力はまだ弱い。その力と魂はセカンドインパクトの時にアダムと第三〜十七の使徒に分裂してしまっている。

“アダム=上位神剣”という存在がその意味を持つのは、全ての“使徒=アダムの欠片”を砕いたその時だ。

「そうだな」

ユウトは頷いた。

「さて、辛気臭い話はここまでだな」

「そですね」

「ん」

三人は頷きあうと部屋を後にした。




○○○




あけて翌日。

第一中学校2年A組。

「ふーん、綺麗な娘だったんだ、アスカちゃんって」

「ええ。それに碇君とも知り合いだったみたいよ?」

「あ、それは知ってる。話聞いたことあるし」

「私……知らない」

「レイにも紹介するよ」

「ワイにはいけすかん奴やったがの〜」

何時ものように一緒に登校したシンジたち五人は、何時ものようにホームルームが始まるまでのわずかな時間を雑談に興じていた。

そして、チャイムが鳴り、担任の根府川先生が入ってくる。

よっこらしょ、と教壇に立つと、

「転校生を紹介します」

と言った。

「ええ〜!?」「また!?」「男ですか女ですか?」などと教室内がざわめく。

そんな中、ユーフォリア、レイ、ヒカリ、トウジの目がシンジに集中する。

それに一瞬たじろぎながらも、シンジは苦笑しながら頷いた。

「入ってきなさい」

という根府川先生の合図で入ってきたのは、第一中の制服に身を包んだ少女。

その髪は少しだけ赤みのかかった金髪。その瞳はサファイアを思わせるような深い青。

カツカツと音をさせて黒板に自分の名前を書く。

筆記体で書かれたのは“Soryu Asuka Langley”

少女はその金色に輝く髪を翻して振り向く。

「惣流・アスカ・ラングレーです。よろしく!」

そう言って、その顔に太陽のように輝く笑顔を浮かべた。




○○○




「あまり、喜ばしい事態とはいえないのではないか?」

暗い電子の空間に響く声。

秘匿されたコンピューターネットワーク内に構築された擬似空間。

そこは秘密結社SEELEの幹部たる十二使徒が会議を行うために用いられる場所だった。

「すでに第六の使徒も倒されたとか」

「弐号機にはサードも一緒に搭乗した。この勝利も彼の手によってもたらされたといっても過言ではない」

「目の前で弐号機が敗れれば、あるいは、とも思ったが」

数瞬の静寂。そして、またその空間に声が響く。暗いその空間よりもなお深い闇と悪意をはらんだ声が。

「依り代の心は脆弱で無ければならない」

「然り」

「サードチルドレン……碇…否、六分儀でしたな。彼の息子はその条件を満たしてるとは言いがたい」

空間内に浮かぶのは人の姿ではなく、それぞれ「01」〜「12」のナンバーとSEELEのシンボルである七つの目を意匠したマークが刻まれた12枚のモノリス。

「あまりに順調すぎる」

「サキエル、シャムシェル、ラミエル、そしてガギエル……すでに四つ」

「四度の戦いを経て、未だに彼の者の心は磨耗しておらぬ」

「左様。確かに使徒殲滅は重要だが、依り代の心を削るためにはより過酷な戦いが必要だ」

彼らが目指す人類補完計画は、使徒の代わりにエヴァを用いて全ての生命を一つにまとめ上げ、優越種たる彼らがその意思として君臨するというもの。

それにはA.T.フィールドを取り払うために、他者を求める心弱き依り代をエヴァに乗せる必要がある。

「しかし、どうすればよいと言うのだ? 使徒に勝つな、とでも言うのか?」

「そんなことは言っておらぬ、ただ私は……」


「静まれ」


各々が言いたいことを言い合い、意見のまとまらない空間を制したのは静かな声。

その声を発するのは「01」のナンバーが刻まれたモノリス――SEELEの盟主たるキール・ローレンツだ。

「確かに今現在、初号機のパイロットの心は安定していよう」

威厳に満ちたその声を残して擬似空間が静寂に満ちる。

「しかし、今後現れる使徒はますます強力になる……いずれ、依り代の心も削れよう」

「ですが……」

「弐号機もすでにドイツを発ち、惣流博士の娘も六分儀の息子と邂逅を果たした」

反論しようとした「06」のモノリスを無視するように「01」のモノリスは続ける。

「セカンドチルドレン……その心には深いひびがある。いずれ砕けるは必定」

静かにキールは続ける。

「しかし、セカンドとサードには接触があったとか。それによって二年前……彼らが別れてからのセカンドは精神は安定の傾向が見られるとか」

という「10」のモノリスの言も、

「上辺に過ぎぬ」

と切って捨てた。

「母の死によって生じた罅と、我らの精神誘導によってそこに打ち込んだくさび……そうやすやすと癒えるものでもない」

いかようにも砕くことができる、と「01」

「セカンドとサードの間に友誼があるのはむしろ好都合。彼らが交流を持てば、セカンドの心が砕けるとき、呼応するようにサード、そしてファーストの心にもひびが生まれよう……」

そこでいったん言葉を切り、全員を見回すような気配があって、

「いずれにせよ、現段階において使徒殲滅は最優先。それがなされなければ、補完計画も立ち行かぬ。約束の時までに彼の者たちの心を削れば良い……戦いの中でそれが成されなければ、我らの手によって成すのみ」

子供の心を壊すための算段を、嬉々として進める老人たち。

本人たちは気付かないが、その様は酷く醜悪だ。

言い切った「01」のモノリスに、

「ううむ、確かに……」

「そう仰られるならば……」

「我らにも異存はありませぬ」

と残りのモノリスたちは口々に同意を示す。

「今後、NERVへの監視を強めることとしよう」

「弐号機と一緒に“鈴”が届く。彼にも役割を果たしてもらおう」

「碇の介入はいかがいたします?」

「彼の財閥の力は確かに脅威だが、所詮は劣等種の集まりに過ぎぬ。我らの大いなる流れをとどめることなどできぬ」

自信に満ちた「01」の声に全てのモノリスが納得するような感嘆の声を上げる。

「全てはSEELEのシナリオのままに」

「「「「「「「「「「「すべてはSEELEのシナリオのままに」」」」」」」」」」」

宣誓するような「01」の声に、全てのモノリスが唱和した。








○○○








「ふむ。混沌の者の介入があるようだが、今のところ問題あるまい……SEELEとか言ったか、愚か者たちの計略、精々活用させてもらうとしよう」

どことも知れぬ暗闇に感情を感じさせない声が響いた。